日本の対外戦争と世界の情勢

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zoom RSS 漸くに 靖国参拝 ブログにて

<<   作成日時 : 2012/12/19 23:06   >>

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前回,「漸くに 夏の靖国 参拝す 」<< 作成日時 : 2012/01/23 05:21 >> において,書きましたように,現在の靖国問題を理解するためには,靖国神社の参道中央に聳え立つ大村益次郎氏の巨大銅像について,十分に理解する必要があると考えます。

大村益次郎氏について,所 功(ところ いさお)氏編 「ようこそ靖国神社へ」 株式会社近代出版社発行の「大村益次郎関係年表」から,主なもの8項目に限って引用します。なお,文章中の( )内の説明の多くは私の勝手な注釈です。間違いがあれば責めは全て藍愛和にあります。

1824(文政7).3.10 周防国(今の山口県)吉敷郡鋳銭司村字大村に生まれる。
1842(天保13) 梅田幽齋の門に入る。その後,広瀬淡窓,緒方洪庵,奥山静寂等に師事。
1849(嘉永2) 再び緒方洪庵に師事して,塾頭となり,翌年辞して故郷に帰る。
1856(安政3) 大槻俊齋の門に入る。同年蕃書調所の助教授となる。同年洋式巨艦を造り,翌年,講武所の助教授となる。
1860(万延1).4.20 長州藩雇士(よく分からないが,一応武士)となる。(これまでは,町人?)
1865(慶応1).6.6 士格大組に列し,石州口参謀となる。12.22 藩命により,村田蔵六を大村益次郎と改称。
1868(明治1).2.22 京都において,軍防事務局判事加勢を命じられ,朝臣となる。.5.15 彰義隊戦争で真価を発揮した。
1869(明治2).6.21.兵制会議。以後5日間,大村は四民徴兵説を固執し,大久保らと激論。.9.4 .(京都の)木屋町の客舎で難に遭う。11.5. 大阪の病院にて逝く。(時に)46歳

[コメント]この年表中には,大村益次郎氏が上野戦争でどのような役割を果たしたのかとか,何故四民徴兵説に固執したのかとか,何故木屋町の客舎で難に遭い,どんな被害を受けたのかとか,何故靖国神社に巨大銅像があるのかとかが,,一切説明されていません。実は,それらは本文中に詳しく説明されています。或いは又インターネット検索すれば膨大な資料が手に入るでありましょう。それらについては,次回に。
(記入:12/12/19 23:06 藍愛和)

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