日本の対外戦争と世界の情勢

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zoom RSS 菅直人内閣が日本を救う:尖閣問題その6:北方四島問題

<<   作成日時 : 2011/02/18 21:21   >>

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尖閣問題については,「仙石由人代表代行は日本一の国士:尖閣問題その5」で,雑誌「世界」(2011年1月号)の「[尖閣問題]と安保条約」 執筆者 豊下楢彦氏,について紹介しました。今回は同じ雑誌「世界」(2011年1月号)の「瀕死の北方領土交渉」執筆者 東郷和彦氏(京都産業大学客員教授,元外務省の条約局長,欧亜局長),について紹介します。

東郷氏はまず,
「(メドベージェフ)大統領の国後島訪問は,単なる表象にすぎない。それは近来の北方領土交渉の敗北の論理的な帰結であり,ロシアの極めて戦略的な領土政策と対日政策の結果である。」
と書いています。そして,過去5年間のロシアの北方領土戦略がどういうものであったかについて,p.49からp.57までを費やして説明し,日本はどう対処すべきか,について,p.57の最後の残り半ページを費やして説明しています。

ロシアの北方領土戦略を再現してもしかたないので,要点を紹介します。
@日露政治関係の崩壊(2010年)
2010年7月2日,ハバロフスクで開催された「極東社会経済開発とアジア太平洋地域との協力会議」でのラブロフ外相演説で,ロシアは極東の一国日本については一言も言及しなかった。この演説と同時に,択捉島では1991年以来行われなかった軍事演習が再開され,9月2日を「太平洋戦争戦勝記念日」とする法案が7月7日下院で採択された。11月1日の大統領国後島訪問は起こるべくして起こったといわざるをえない。この状況が起きた主要な原因はこれまでの日露交渉の中にあったと言わねばならない。
A外交交渉の終焉(2006年から09年)
(一)小泉政権時代(2001/4/26-2006/9/26)は,領土交渉は,全く動かなかった。
2001年3月,森首相(2000/4/5-2001/4/26)とプーチン大統領とのイルクーツク会談で,将来日露両者が話し合うことになっていたが,小泉政権の日本側が交渉の場から引いてしまった。
(二)2006年9月安倍政権誕生。
2007年ハリゲンダム・サミットで日本側は極東・シベリア協力イニシアティブを呈示。
(三)2008年福田内閣(2007/9/26-2008/9/24)時代の洞爺湖サミットでは,メドベージェフ大統領からは「領土問題解決」と「日露平和条約」とに関連した発言があった。
(四)2009年2月18日,麻生政権(2008/9/24-2009/9/16)下,サハリンで麻生・メドベージェフ会談,5月12日,日本で麻生・プーチン会談が行われ,「面積等分論」が語られるようになった。
(五)2009年5月20日,麻生首相の「不法占拠」発言。領土交渉は中断した。
(六)2009年9月16日鳩山首相(-2010/6/8)誕生で再び交渉への期待感が高まった。
2010年11月24日,菅直人内閣(2010/6/8-)の日本政府は鈴木宗男衆議院議員の質問趣意書に対する回答で,「不法占拠」という言葉を使った。安倍政権から開いていた「機会の窓」はここで完全に閉ざされた。
Bクリル開発計画の衝撃(2007年から開始)
2006年8月9日付け「連邦目的計画:サハリン州所属クリル諸島の社会経済発展(2007年から2015年まで)」によれば,
建設すべき分野は,(1)交通網の整備(2)燃料エネルギー産業の発展(3)漁業産業の発展(4)社会的インフラの整備(5)通信網の整備(6)道路網の整備
予算は,円換算で540億円
1990年代,83%の島民が日本引き渡しに賛成していた。しかし,2010年現在では素晴らしい商店街。見事な鉄筋の学校。島民はモスクワがこの島を守ってくれると信じるようになった。
1990年代,私(東郷和彦氏)を含む多くの外務省員はできるだけ四島に入り,ロシア島民の支持を得る,そういう「北方四島日本化論」をとり,当時の外務省はたくさんの政策を実施してきた。ロシアの「四島ロシア化」施策の恐れを最も鋭敏に感じ取り,四島ロシア人住民の心をつかむべく努力され,私たちに交渉加速化のはっぱをかけたのが鈴木宗男衆議院議員だった。
C日本は何をなすべきか。
日露両国の@からBまでのような対応の結果,ロシアは領土交渉を諦め,日露間の経済問題に的を絞ってしまった。それでは,日本はどう対処すべきか。現下の危機において,三点だけ述べておきたい。
第一に,日露交渉の現状について,政府首脳,外務官僚,主要論客,メディア,国民全体において,正確な認識を持つことだと思う。現下の領土交渉が瀕死の状況にある原因は,日本の外交敗北による。直視するのもつらい現実がある。
第二に,なぜ,北方領土が大事なのか。一九四五年,私たちの父や,祖父や,曾祖父がうけた民族としての苦しみをどう記憶し,どう政策化するのか。一億三千万の国民の心なくして,どうして領土返還を求める力がわいてこようか。どうして,日本として満足のいく日露関係が設定できようか。
第三に,一九四五年にうけた民族の苦しみを背景として,政府においては,一国も早く全精力を注いだ交渉を再開することである。四島ロシア化という一頭の馬で走っている領土問題に,領土交渉というもう一頭の馬をもどすために,政府全体の力を糾合して,あらゆる努力を払っていただきたいと思う。そのための時間は,一刻一刻,なくなりつつあるのだ。

[コメント]東郷氏のこの論文を読み終えて,最初に私の思い浮かんだ言葉は「賽の河原の石積み」です。この言葉は,色々に使われますが,私のいいたい意味に近いのは,インターネットで見つけた次の説明です。
「教えて!goo」:
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2268574.html
*****************
No.2ベストアンサー20pt
回答者:sophia35 回答日時:2006/07/11 09:48
おはようございます。
先ず、「ケルン」は登山用語で、先に登った登山者が後進の登山者の為に、頂上や登山路を示す為に積み上げた石山のことです。こっちは壊すと、道標が無くなって困っちゃいますね。まあ、登頂記念に作っていくパーティーなんかもいたりします。
そして賽の河原の石積みですが、説法の一つに逆縁で親より早く夭逝した子供たちは、親不孝をしたと言う罪により、賽の河原で石積みをせねばならないとされており、親を思いながら一つずつ積んでも、その罪により積んだ端から地獄の鬼に壊されなければならず、いつまでも賽の河原で石積みをし続ける・・・と言うものがあります。
その子達を憐れに思う人、子供が夭逝してしまった親などが、その子の負担を軽くしようとして、実際の河原などで石を積んだりしているんですよ。
崩したら呪われるどうのと言う事ではなく、その積んだ人の心を思えば、崩すことは出来ないものだと言う事ですね。
*****************

日本の「北方四島対露交渉」がどのような「賽の河原の石積み」状態であるのか,は東郷氏の詳細な説明でわかりましたが,何故,そのような状態をくり返しているのか,が今一つはっきりしません。
ここは,前回,「仙石由人代表代行は日本一の国士:尖閣問題その5」で引用した豊下楢彦氏の論文で強調されたように,歴史的に考察する必要があります。
1.最初に指摘したいのは尖閣問題その5でも説明しました,
国際連合憲章(1945年)(邦訳):
http://www.lares.dti.ne.jp/~m-hisa/uncharter/japanese.html
>敵国条項
>第53条〔強制行動〕
>第107条〔敵国に関する行動〕
の存在です。米国はこの国連憲章の第53条と第107条に守られて,日本に対し,米国の方針に敵対できないように,常にコントロールしています。その一例が,「日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言」締結時に於ける,「米国国務長官ダレス氏の横槍」と言われるものです。インターネットで調べていますと,たまたま次の記事に出会いました。
四島(しま)のかけはし:北方領土の歴史:日ソ国交の回復:
http://www.hoppou.go.jp/gakusyu/history/index7.html
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同(1956)年9月7日、米国政府は、日ソ交渉に対する米国覚書の中で「択捉、国後両島は(北海道の一部たる歯舞群島及び色丹島とともに)常に固有の日本領土の一部をなしてきたものであり、かつ、正当に日本国の主権下にあるものとして認められなければならないものであるとの結論に達した。」と日本の立場を支持しました。
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国連憲章(1945年)の敵国条項と日ソ交渉にたいする米国覚書(1956年)を読むだけでは,それら条項や覚書が何故日露外交交渉において「賽の河原の石積み」状態を招くのかが,良く分かりません。
ここで,もう一つ,サンフランシスコ講和条約を調べる必要がある,と私は考えます。
サンフランシスコ講和条約(1951年):第二十六条:
> 日本国は、千九百四十二年一月一日の連合国宣言に署名し若しくは加入しており且つ日本国に対して戦争状態にある国又は以前に第二十三条に列記する国の領域の一部をなしていた国で、この条約の署名国でないものと、この条約に定めるところと同一の又は実質的に同一の条件で二国間の平和条約を締結する用意を有すべきものとする。但し、この日本国の義務は、この条約の最初の効力発生の後三年で満了する。日本国が、いずれかの国との間で、この条約で定めるところよりも大きな利益をその国に与える平和処理又は戦争請求権処理を行つたときは、これと同一の利益は、この条約の当事国にも及ぼさなければならない。

これら3つの国連憲章(1945年)・サンフランシスコ講和条約(1951年)・日ソ交渉に対する米国覚書(1956年)を読んでも,矢張り,よく分かりません。
それで,アメリカが第二次世界大戦以降,日本に対して,いかなる平和処理又は戦争請求権処理を行ったか,更には,アメリカは,20世紀・21世紀における全ての,自国の対外戦争で,戦後,いかなる平和処理又は戦争請求権処理を行ったか,を調べる必要があると思います。
大分,長文となりましたので,以下は次回に述べたいと思います。
(記入:11/02/18 21:16 藍愛和)

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