日本の対外戦争と世界の情勢

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zoom RSS 日露戦争・その十二

<<   作成日時 : 2008/09/07 20:02   >>

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日露戦争(1904(M37)/2-1905(M38)/9)における日本の軍事費について,鹿島平和研究所編 日本外交史 7 日露戦争 法学博士 鹿島守之助著 を参照しながら,考察を加えることにします。

「日本外交史 7 日露戦争」より
第二項 戦時公債募集とイギリスの援助
第一目 概説
日露戦争のために日本の国庫財政の支出した経費(予算面から)
支出期間:
明治三十六(1903)年十二月(財政上の緊急処分によって支出した
 陸海軍備充実費)から明治三十九(1906)年度(臨時事件費)まで
支出総額(百万円未満は切捨,以下各数も同じ):
 陸海軍事費=計十七億四千六百万円
 各省臨時事件費=計二億三千八百万円
 合計=十九億八千四百万円
財源:
 増税収入=二億一千五百万円
 公債,国庫債券及び一時借入金=十五億五千五百万円
 特別会計資金繰り替え=六千七百万円
 軍資献納=百五十万円(これは百万円未満切捨でない)
 雑収入=五十万円(これも百万円未満切捨でない)
 歳計剰余=一億四千七百万円
 合計=十九億八千四百万円 内,外国債=八億円
 (財源の合計に軍資献納と雑収入が入っていないようですが,どうしてだろう。 070323 藍愛和)

 幾つかの項目について,詳細を調べることにします。
[1]鹿島守之助先生(1896/2/2-1975/12/3):(Wikipedia:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E5%B3%B6%E5%AE%88%E4%B9%8B%E5%8A%A9 より)
父・永富敏夫,母・岡田氏女の四男  兵庫県揖保郡半田村新在家(現在のたつの市揖保川町新在家)生まれ 大正9(1920)年東京帝国大学法学部卒 外務省入省 通商局,ドイツ大使館,欧米局,イタリア大使館等に勤務 昭和2(1927)年鹿島精一長女卯女(うめ)と結婚 昭和9(1934)年東京大学より「世界大戦原因の研究」で法学博士号取得 昭和13(1938)年鹿島建設株式会社社長に就任 昭和17(1942)年大政翼賛会調査局長 昭和28(1953)年参議院議員当選 自由民主党外交調査会副会長 以後国務大臣北海道開発庁(現国土交通省北海道局)長官 厚生(現厚生労働)大臣臨時代理 参議院外務委員長 自由民主党外交調査会長 同顧問を歴任 昭和34(1959)年「日本外交史」「日本外交政策の史的考察」により学士院賞受賞 以後紫綬褒章 紺綬褒章 勲一等瑞宝章受章 「日本外交史」刊行に対し大平外務大臣より表彰 文化功労者

[2]鹿島精一(1875-1947):(いわてゆかりの人々:http://www.bunka.pref.iwate.jp/rekishi/yukari/main.html より)
実業家 盛岡市出身 鹿島組社長 日本土木建築業連合会会長 東京ロータリークラブ・民間人として最初の土木学会会長に勅撰 在京岩手学生会会長

[3]鹿島建設株式会社:(鹿島の160年: http://www.kajima.co.jp/prof/overview/160-2.html より)
天保11(1840)年 鹿島岩吉,江戸にて創業
明治13(1880)年 鹿島組創立 東京に本店 鹿島岩蔵初代組長
明治45(1912)年 鹿島精一組長就任
昭和 5 (1930)年 株式会社鹿島組設立(資本金300万円) 東京に本店  鹿島精一社長に就任
昭和13(1938)年 鹿島精一会長 鹿島守之助社長就任
昭和22(1947)年 鹿島建設株式会社に社名改称
昭和24(1949)年 業界初,鹿島建設技術研究所設立
昭和32(1957)年 鹿島守之助国務大臣就任 鹿島卯女五代目社長就任
昭和36(1961)年 東京,大阪証券取引所に株式上場
昭和39(1964)年 ロスアンゼルスにカジマ・インターナショナル・インコーポレーテッド(KII)発足 
昭和48(1973)年 アメリカにイースト・ウェスト・ディベロップメント・コーポレーション(WEDC)設立
昭和51(1976)年 鹿島卯女会長就任
昭和53(1978)年 渥美健夫会長,鹿島昭一副会長,石川六郎社長が就任
昭和54(1979)年 アメリカにカジマ・ディベロップメント・コーポレーション(KDC)設立
昭和59(1984)年 石川六郎会長,鹿島昭一社長が就任
昭和62(1987)年 カジマU.S.A,カジマ・ヨーロッパ設立
昭和63(1988)年 関東支店・東京支店発足 カジマ・オーバートーズ・アジア(KOA)設立
平成2(1990)年 鹿島昭一副会長,宮崎明社長が就任
平成3(1991)年 KAJIMA EVOLUTION21 計画発表,鹿島建設から「鹿島」へ
平成11(1999)年 創業 160 年

[4]鹿島平和研究所:(財団法人鹿島平和研究所沿革:http://www.kiip.or.jp/enkaku.htm より)
財団法人鹿島平和研究所は、1966年7月、永年に亘って参議院議員であり、また鹿島建設株式会社の会長であった故鹿島守之助博士の寄付によって、国際の平和ならびに外交一般に関する調査研究を行う機関として設立。
(1966年7月1日外務大臣から公益法人として認可)
当研究所は設立当初より、創立者鹿島守之助博士の意向を受けて、国際的に重要な問題に関する有識者、特に外交界・官界・財界の実務経験の豊かな人材を広く役員に迎え、またその意見を徴してきたことにその特色がある。

[5]日露戦争時の貨幣価値:
明治三十七(1904)年当時の一円が現在の貨幣価値に換算して,どれくらいになるか試算してみることにします。
「いまならいくら?」(消費者物価):
http://chigasakioows.cool.ne.jp/ima-ikura.shtml
によりますと,消費者物価指数の変遷は次のようになっています。
日銀 :明治 37 (1904)年 0.531 昭和 57 (1982)年 1474.1 (基準年昭和 10 年 100.0 )
総務省:昭和 57 (1982)年 81.1  平成 12 (2000)年 100.0
従って,明治 37 年の 1 円は平成 12 年ではおよそ 3,423 円となります。この貨幣換算率でゆきますと,日露戦争の戦費十九億八千四百万円 (内,外国債=八億円) は現在のお金に換算すれば,およそ 6 兆 79 百万円 (内,外国債=2 兆 74 百万円) で,平成 19 年度の国家予算 83 兆円に比較すれば大したことはないように見えます。
但し,「どこへ行く,日本−日本経済と企業経営の行方」(6) 過去の日本国の借金を考える−外国からの借金で戦った日露戦争」:
http://www.araki-labo.jp/jecono05.htm
によりますと,「当時の日本の一般会計の歳出が 2.5 - 3.0 億円程度であったことを考えると6年分以上の財政支出になり」とあります。国家予算の 6 倍なら,日露戦争の戦費は現在の予算規模で考えれば,総額はおよそ 500 兆円 (内,外国債 200 兆円) ということになります。

[コメント]日本国は国内外から,莫大な借金をすることによって,最新の軍備を整え,世界の超軍事大国露国と乾坤一擲の大勝負に打って出ました。どのようにして,このような軍備を整えていったかは次回以降に考察することにして,ここでは,日本が背負い込んだ莫大な借金の意味について,素人の独断と偏見によるものではありますが,考察を加えたいと思います。

日露戦争当時の諸外国との通商条約はいわゆる不平等条約でありました。不平等条約というのは,一種の植民地支配に当たると思います。欧米列強は日本に隙あらば日本を植民地化しようとの世界戦略を永年に渉って温めて来ていたと思います。日露開戦は正に日本植民地化のチャンス到来と,欧米列強は考えたでありましょう。
日清・日露の両戦争を日本が志向し,遂行し,勝利することができたのは,日本人の優秀さによるものではありますが,それだけが全ての根拠であると考えるのは,独善・無知に過ぎるでありましょう。
日清戦争には,英米両国の物心両面に渉る指導,協力,援助があったのですが,特に米国は全面的に日本を支援しています。英国はどちらかと言えば,中国における自国の利権を守ることを考えて,日本には消極的であったようです。そのことは,当時の米国新聞の論調を紹介する日本の新聞記事を読めば分かります。
新聞集成 明治編年史 第九巻 日清戦争期(自明治二十七年 至同二十九年) から,引用します。
明治二十八(1895)年二月六日毎日新聞
= 英国の非文明 日本を評する資格なし 米紙公正の論断 =
費府(フィラデルフィア)サンデー・プレス曰く,旅順陥落の当時日軍が無辜を虐殺せりとの流言は,今尚ほ英国の輿論に上る。然れども今を去る三十年前,英国海軍士官が未だ宣戦の公布なきに,忽然長崎を砲撃し,無辜を威嚇したるの行為は倫敦時事之を庇保し,英国人民之を弁解せしに非ずや。英人の偏頗は吾輩之を知らず,唯文明の戦争に於いて,暴行英国の如きは吾輩他に其の類例を見るに苦しむ,云々。

同じ新聞に,「山砲野砲の操縦天下無比 英将校の日本兵評 旅順の戦,英国従軍士官歩兵中尉オブリエン曰く,(日本兵は)勇壮にして剽悍,云々。」とも書かれています。

日露戦争では,逆に,英国は積極的に日本を支援したのに対して,米国は日露両国に対して,白馬の騎士を演じようとしていたように見えます。日露戦争のその辺の詳細については,今後段々に明らかにしたいと思います。

要するに,英米両国は世界中の植民地化という世界戦略に取っての得失を計算し尽くした上で,対日政策を実行して来たと思います。

諸々の外交的折衝の末,日本は多額の戦費を高利で調達することになりました。例えば,
対英米の公債についてデータを列挙します。
第一回公債(M37/5) 1 千万ポンド 利率 6 分 発行価格 額面の 93.10% 担保 関税収入
第二回公債(M37/11) 1 千 2 百万ポンド 利率 6 分 発行価格 額面の 90.10% 担保関税収入
第三回公債(M38/3) 3 千万ポンド 利率 4.5 分 発行価格 額面の 90.00% 担保タバコ専売益金
第四回公債(M38/7) 3 千万ポンド 利率 4.5 分 発行価格 額面の 90.00% 担保タバコ専売益金
露国の仏国公債(M37/4) 8 億フラン 利率 5 分 発行価格 額面の 99.00 % 担保無し
(注) 1 千万ポンドは約 9,763 万円,8 億フランは約 3 億 2 千万円

日露両国の M37 年の借り入れ条件の違いを見れば,その差は一目瞭然です。英米両植民地主義国は勝つはずのない対露戦争に日本を追い込み,非情な高利で多額の借金を日本が背負わなければならないように日本を追い込みました。その時,英米露三植民地主義国が描いた戦後の日本支配の構図はどんなものであったでありましょうか。私の独断と偏見によるものではありますが,私は次のように想像します。恐らく英米は露国が樺太・千島を領土とし,北海道の利権を独占することを認める代償として,本州・四国・九州・沖縄の利権を独占したでありましよう。こうして,地球上に残されたただ一つの宗主国でも植民地でもない日本国の陥ったかも知れない植民地化地獄は,北清事変後の中国:
http://aiaiwa.at.webry.info/200604/article_3.html
の姿を見れば,日本人の誰でもが容易に想像可能でありましょう。

この時代でも,なお,米国はフィリッピンを植民地としたことを忘れてはなりません。そして,最終目標は日本と中国全体の分割と植民地化であったと思います。

しかし,歴史は日本を地獄の欧米植民地化へとは向かわせませんでした。でも,しかし,歴史は日本を地獄の植民地主義的軍人独裁制国家へと驀進させ,ついには全国土の焼失と広島・長崎の原子爆弾投下と無条件降伏という悲劇へと向かわせました。
(記入:08/09/07 19:46 藍愛和)

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