日本の対外戦争と世界の情勢

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zoom RSS パル判決の「勧告」を読む 1.東京裁判

<<   作成日時 : 2007/10/22 12:48   >>

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極東軍事裁判は1946(S21) 年 1 月 19 日に,極東国際軍事裁判所条例(極東国際軍事裁判所憲章)が定められてから,1948(S23) 年 12 月 23 日, 7 人の 死刑を含む刑の執行まで,およそ 3 年間にわたって,東京で行われました。
この裁判におけるパル判決文中の「勧告」について,共同研究「パル判決書(上),(下)」東京裁判研究会 講談社学術文庫や,朝日新聞法廷記者団著「東京裁判」(上中下三巻) 東京裁判刊行会,インターネットの Wikipedia 等を参照しながら,考察したいと思います。
この裁判の判事は戦勝国の 11ヶ国,アメリカ、英国、ソ連、フランス、オランダ、中華民国、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、インド、フィリピンから派遣されたのですが,「パル判決書」によりますと「個人的な資格」で裁判を担当しました。インドの判事がラダ・ビノード・パル(Radha Binod Pal)氏です。
検事は戦勝国の同じ 11 ヶ国から一人ずつが派遣されました。弁護人は被告 1 人について,日本人 1, 2 名,米国人 1 名,補佐に日本人 1-4 名がつきました。

被告人は次の 28 人の方々です。
荒木貞夫(あらき さだお)氏 1877-1966
 陸軍大臣,陸相,文相
板垣征四郎(いたがき せいしろう)氏 1885-1948
 陸軍大将,関東軍参謀長,陸相,支那派遣軍総参謀長,朝鮮軍司令官
梅津美治郎(うめず よしじろう)氏 1882-1949
 陸軍大将,陸軍次官,関東軍司令官,参謀総長
大川周明(おおかわ しゅうめい)氏 1886-1957
 国家主義者,満鉄東亜経済局理事長,「猶存社」設立, 5.15 事件等の黒幕
大島浩(おおしま ひろし)氏 1886-1975
 陸軍中将,在ドイツ陸軍武官,ドイツ駐在大使時に日独伊三国同盟を推進
岡敬純(おか たかずみ)氏 1890-1973
 海軍中将,海軍省事務局長,海軍次官,日独伊三国同盟・南進政策の推進
賀屋興宣(かや おきのり)氏 1889-1977
 官僚,政治家,蔵相,貴族院議長,北支開発総裁
木戸幸一(きど こういち)氏 1889-1977
 内大臣秘書官長,文相,厚相,内相,内大臣
木村兵太郎(きむら へいたろう)氏 1888-1948
 陸軍大将,関東軍参謀長,陸軍次官,ビルマ派遣軍司令官
小磯国昭(こいそ くにあき)氏 1880-1950
 陸軍大将,関東軍参謀長,拓務相,朝鮮総督,首相
佐藤賢了(さとう けんりょう)氏 1895-1975
 陸軍中将,軍務課員,軍務局長
重光葵(しげみつ まもる)氏 1887-1957
 外交官,政治家,駐ソ・駐英大使,外相
嶋田繁太郎(しまだ しげたろう)氏 1883-1976
 海軍大将,連合艦隊参謀長,海相,対米主戦論者
白鳥敏夫(しらとり としお)氏 1887-1949
 外交官,外務省情報部長,駐伊大使,日独伊枢軸外交・三国同盟に尽力
鈴木貞一(すずき ていいち)氏 1888-1989
 陸軍中将,興亜院総務長官代理,総力戦研究所参与,国務相兼企画院総裁
東郷茂徳(とうごう しげのり)氏 1882-1950
 外交官,駐独・ソ大使,"対米開戦せず"を条件に外相就任
東條英機(とうじょう ひでき)氏 1884-1948
 陸軍大将,関東軍憲兵隊司令官,関東軍参謀長,陸相,首相等
土肥原賢二(どいはら けんじ)氏 1883-1948
 陸軍大将,奉天特務機関長,満州建国に関与
永野修身(ながの おさみ)氏 1880-1947
 陸軍元帥,海相,連合艦隊司令長官,軍令部総長
橋本欣五郎(はしもと きんごろう)氏 1890-1957
 陸軍砲兵大佐,参謀本部ロシア班長
畑俊六(はた しゅんろく)氏 1979-1962
 陸軍元帥,中支派遣軍司令官,陸相
平沼騏一郎(ひらぬま きいちろう)氏 1867-1952
 司法官,検事総長,司法相,枢密院議長,首相,「国本社」の創立者・総裁
広田弘毅(ひろた こうき)氏 1878-1948
 外交官,ソ連大使,外相,首相,
星野直樹(ほしの なおき)氏 1892-1978
 官僚,政治家,満州国総務長官,内閣企画院総裁,内閣書記官長
松井石根(まつい いわね)氏 1878-1948
 陸軍大将,中支方面軍司令官,大東亜振興会総裁
松岡洋右(まつおか ようすけ)氏 1880-1946
 外交官,政治家,国際連盟脱退時の首席全権,満鉄総裁,外相,日独伊三国同盟・日ソ中立条約に努力
南次郎(みなみ じろう)氏 1874-1955
 陸軍大将,陸相,満州事変不拡大方針サボタージュ,朝鮮総督
武藤章(むとう あきら)氏 1892-1948
 陸軍中将,参謀本部課長,陸軍省軍務局長,第 14 方面軍参謀長として山下奉文大将を支援

これらの被告に対する起訴事実は,三類五十五訴因に分けて挙げられています。
第一類 平和に対する罪(訴因第一ないし第三十六)
第二類 殺人(訴因第三十七ないし第五十二)
第三類 通例の戦争犯罪および人道に対する罪(訴因第五十三ないし第五十五)

それぞれの訴因について簡単な説明を付けます。
第一類 平和に対する罪(訴因第一ないし第三十六)
 訴因第一ないし第五 侵略戦争の共同謀議
 訴因第六ないし第三十六 全部または若干の被告が各国家または国民に不法戦争を計画し,かつ準備したことを各国または国民を各別の訴因中に指名しつつ起訴

第二類 殺人(訴因第三十七ないし第五十二)
 訴因第三十七 ハーグ条約第三号に違反して,若干の被告が米,比,英,蘭,泰の国民を不法に殺害し,殺戮せんと共同謀議したこと
 訴因第三十八 ハーグ条約以外の幾多の条約に違反して,若干の被告が米,比,英,蘭,泰の国民を不法に殺害し,殺戮せんと共同謀議したこと
 訴因第三十九ないし第四十三 1941 年 12 月 7 日,8 日に,米,比,英,蘭,泰の人々を,真珠湾,コタバル,香港,上海およびダバオにおいて,攻撃を命じ,なさしめ,かつ許すことにより不法に殺害し,殺戮したこと
 訴因第四十四 俘虜,一般人,雷撃せられたる艦船の乗組員の殺戮をなさしめ,かつ許す共同謀議をしたこと
 訴因第四十五ないし第五十二 被告のある者が,中,蒙,ソ各国の領土を不法に攻撃することを命じ,なさしめ,かつ許すことにより,多数の一般人ならびに兵士を不法に殺害し,殺戮したこと

第三類 通例の戦争犯罪および人道に対する罪(訴因第五十三ないし第五十五)
 訴因第五十三 ある特定の被告が共同謀議して部下達に米・英・仏・蘭・比・中・葡・ソに属する捕虜ならびに一般人にたいし,残虐行為ならびに他の犯罪を犯すことによりて条約ならびに他の法律に違反することを命令し,授権し,かつ許可した罪
 訴因第五十四 若干の明示せられた被告は訴因第五十三に記載の捕虜ならびに一般人にたいし訴因第五十三記述の犯罪を犯すことを命じ,これが権限を与え,かつこれを許したこと 更に上と同一の明示せられた被告は訴因第五十三に挙示せられたる国家の俘虜および一般人ならびに諸人民の保護のために条約,保障および戦争諸法規の遵守を確保するため,適当な手段を採るべきかれらの法律上の義務を故意にかつ無謀に無視して,戦争法規を侵犯せしめたこと

[コメント]日本は三千年の歴史の中で初めて外国に無条件降伏しました。その結果,日本全土は連合国軍に占領され,日本軍は武装解除され,日本政府・軍部の指導者・兵士等凡そ 6,000 名がA,B,C級戦犯として有罪判決を受け,内 994 名が死刑判決を受けました。極東国際軍事裁判所で裁かれたのがA級戦犯です。

日本政府・軍部の行った不法な戦争行為は公開の裁判によって余すところ無く,日本中は勿論世界中に知れ渡りました。連合国側はポツダム宣言において次のように宣言しています。
「九 日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルベシ
十 吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非ザルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰ヲ加ヘラルベシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由竝ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ 」
(データベース『世界と日本』 戦後日本政治・国際関係データベース 東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室:
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19450726.D1J.html
から引用)

極東軍事裁判所の挙げた訴因の概略説明を一読するだけで,その訴因が不法行為として弾劾している日本の諸々の戦争行為は日本を裁いた連合国も亦歴史上長年に渉って,繰り返し行ってきた戦争行為と同類のものであることが分かります。即ち,第二次世界大戦或いはそれ以前において,戦勝国は裁判に掛けることなく,敗戦国国民を恣意的に殺害して復讐し,敗戦国の領土・利権を一方的に強奪していました。
第二次世界大戦の戦勝国の戦後処理がそれまでの戦勝国の戦後処理と異なるのは,敗戦国国民の一部を「法に基づく裁判」によって処刑したことでしょうか。

現在の日本において,この極東軍事裁判にどう向き合うかについて,二つの相対立する考え方を指摘することができると思います。
第一は極東軍事裁判を受け入れ,日本の行った侵略戦争を反省し,侵略戦争の再発防止に努力しなければならないという立場
第二は極東軍事裁判は間違った裁判であり,現在の日本国民は「東京裁判史観」を脱却しなければならないという立場

第二の立場の考え方の拠って立つ基盤がここで考察しようとしている「パル判決」であると私は考えています。
(記入: 07/10/22 12:25 藍愛和)

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