日本の対外戦争と世界の情勢

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zoom RSS 沖縄戦集団自決問題における「事実」

<<   作成日時 : 2007/10/09 17:04   >>

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不思議惑星さん(http://88593596.at.webry.info/200710/article_2.html),今日は。
>昨年、元琉球政府職員の照屋昇雄さん(82)が、 『赤松さんが村を救うため、十字架を背負うと言ってくれた』と渡嘉敷の集団自決について証言されていているんですが…

この文章に関連して,気がついたことや調べたこと,疑問に感じたこと等を幾つか列挙したいと思います。

1.沖縄戦で日本軍と連合国軍が戦っている戦場のまっただ中で,一般住民が集団自決しました。

2.沖縄戦では神風特攻隊など多数の兵士が玉砕覚悟の攻撃を繰り返し,護国の鬼として散華しました。

3.国家総動員法など,日本政府・軍部は昭和 13 年以来勅命によって全てを日本政府・軍部の思うとおりに出来る戦時態勢を築きました。

4.大日本帝国憲法第1章天皇第3条天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス

5.戦陣訓(16年1月):
http://archive.hp.infoseek.co.jp/senjinkun.html
本訓其の二第八:生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。

6.昭和 18 年 5 月,アッツ島玉砕。日本政府・軍部は「皇軍の華」と称え大々的に報道しました。

7.玉砕は続きます。タラワ・マキン両島(18年1月),クエゼリン・ルオット両島(19年2月),サイパン(19年6月),テニヤン・グアム(年月不明でした。すみません。),ペリリュー・アンガウル両島(19年9月),硫黄島(20年3月)
(6,7は惨烈の時代:
http://www.hpmix.com/home/hhhnaka/C7_30.htm
から引用しました。)

8.昭和19年2月,日本政府・軍部は「本土決戦」,「一億玉砕」を呼号し,国策として,国民に周知徹底させました。
太平洋に浮かぶ島々での玉砕はやがては本土の運命であったのです。

9.日本軍と連合国軍の沖縄決戦は住民を巻き込んでの死闘となりました。詳しくは沖縄戦(Wikipedia):
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6
をご覧下さい。

10. 1945 年 8 月 15 日,日本はポツダム宣言を受諾し,無条件降伏しました。

11.教科書が教えない歴史/日本近代史の真実 自由主義史観研究会(代表:藤岡信勝)公式ホームページ:
http://www.jiyuu-shikan.org/tokushu2_closeup.html

○渡嘉敷島に米軍が上陸し住民329人が集団自決しましたが、渡嘉敷島の指揮官の赤松 大尉(当時25歳)が住民に言ったのは、自決を命じるものでなく逆の言葉です。

・島の巡査の安里氏が、部落民をどうするか相談 にいった時:「我々は今のところは、最後まで(闘って)死んでもいいから、あんたたちは非戦闘員 だから、最後まで生きて、生きられる限り生きてくれ」

・村民達が自決を始め、4人の女性が部隊の本部に行った時:「何でこんな早まったことするね、皆、避難しなさい」(4人はこの赤松隊長の言 葉で気を取り直し、無事生き延びた)

・女子青年団長が5、6人の女子団員と共に斬り込み隊に出たいと願いに行っ た時:「何のためにあなた方は死ぬのか、命は大事にしなさい」(怒られ戻された)

戦後、赤松さんは、家族を失い貧困にあえぐ住民を救うために、捏造された自決命令書に印を押して自ら十字架を背負いました。


12.沖縄戦集団自決問題についての櫻井よしこ先生のブログを紹介します。
「 沖縄集団自決、梅澤隊長の濡れ衣 」:
http://blog.yoshiko-sakurai.jp/2007/01/post_497.html

第二次世界大戦中の昭和19年9月、氏は少佐として沖縄慶良間列島の座間味(ざまみ)島守備隊長に着任した。

「沖縄に到着し、軍司令官の牛島満中将に挨拶し、座間味島に向かいました。敵が泊地にするのに適った地形の島で、私は山の側面に穴を掘り、壕の中に船、爆雷、兵器、食糧を隠させました。島の人たちは純真そのもので、若い兵隊たちを大事にしてくれました」と氏。

戦局は激しくなり、米軍の日本攻撃は熾烈さを増す。沖縄への艦砲射撃も同様だ。梅澤隊長は彼我の圧倒的な戦力の差を実感、「ベテランの軍人」として日本の敗北を悟った。

いよいよ明日にも敵が上陸という翌20年3月24日夜10時頃、司令本部の基地隊に、村民代表5名が訪ねてきた。助役、役場の者、小学校の校長、警察官、女子青年団長だった。

助役の宮里盛秀氏が言った。
「いよいよ敵が上陸しそうです。長い間、御苦労様でしたが、お別れに来ました。私たちは前から、年寄り、女子供、赤ん坊は軍の足手まといになるため、死ぬと決めています」

梅澤氏は本当に驚いた。「戦国時代の物語として聞いたようなことを、まさか、沖縄の人が言うとは思いませんでした」と語る。

だが、宮里助役は続けた。

「自決の方法がわかりません。我々皆が集まって円陣を作ります。その真ん中で爆薬を爆破させて下さい」

「そんなことは出来ない」と梅澤氏。

「それなら役場に小銃が3丁ありますから弾を下さい。手榴弾を下さい」と宮里助役。

「馬鹿なことを言うな! 死ぬんじゃない。今まで何のために戦闘準備をしたのか。みんなあなた方を守り日本を守るためじゃないか。あなたたちは部隊のずっと後ろの方、島の反対側に避難していれば良いのだ」

梅澤氏は諭して、5人に言った。

「食糧も山中の壕に一杯蓄えてある。そこに避難しなさい。死ぬなど馬鹿な考えを起こしてはいけないよ」

翌日、文字どおり地獄の戦闘が始まった。梅澤氏は部下の6割を失って、遂に敗北した。戦闘に没頭していた氏らは、住民たちのその後の動き、約800名中172名が集団自決した事実を知らなかった。

梅澤氏は昭和34年以来、沖縄への慰霊の旅を続けてきた。その度に住民らは氏をあたたかく迎えた。そして昭和62年の慰霊のとき、一人の女性が訪ねてきて言った。

「梅澤さん、本当のことを話します。昭和32年、座間味で行われた厚生省の調査で、隊長に集団自決を命じられたかと問われ、『はい』と答えました。そう言わなければならなかったために、そう言いました。けれど、それは真実ではありません」

梅澤氏はなぜ、この女性がそんなことを知っているのかと一瞬考えた。すると女性は言った。

「あの夜、5人が隊長に会いに行きました。4人は亡くなりました。私はたった1人の生き残りです。5人の中に女性が1人、女子青年団長がいましたでしょう。それが私です」

彼女は宮城初枝氏である。初枝さんはこのあと、「国の補償金がとまったら、弁償しろ」などの非難を浴びた。が、彼女が再び発言を変えることは、もはやなかった。幾人かの住民も真実を語り始め、自決命令は宮里助役が下したと判明した。そして梅澤氏は「一番気の毒なのは故里が戦場になった沖縄県民」だと語る。


13.櫻井よしこ先生の話の中に出てきた宮城初枝氏についてはその娘さんの宮城晴美氏の話が上に紹介した「沖縄戦(Wikipedia)」にも出てきます。

座間味島で軍命令を出したとされる梅澤裕少佐は「戦傷病者戦没者遺族等援護法の適用の為、島の長老達から偽証するよう頼まれ、従った」と主張している。座間味島の宮村幸延は、兄宮里盛秀(当時の助役・兵事係)は軍から自決命令を受けていない、隊長命令説は援護法の適用を受けるためにやむを得ずつくり出されたものであった、という証文を梅澤裕氏に与え(1987年)、神戸新聞の取材に答えている(神戸新聞、1987年4月18日)座間味島の宮城初枝(当時青年団長、集団自決で生き残った)は「1945年3月25日に村の有力者5人と隊長にあった際に、隊長は『自決命令』を発していない」との手記を遺しており娘の宮城晴美が2000年に『母の遺したもの』としてその手記を出版した。(この手記は集団自決が強制でない有力な証拠とされたが、宮城晴美は、2007年7月27日、大阪地裁での民事訴訟(「集団自決」訴訟)においては、手記の内容や住民への聞き取りなどを基に軍の命令はあったとの認識を示した)。

渡嘉敷島について照屋昇雄(琉球政府の軍人・軍属や遺族の援護業務担当)は遺族年金を受給するために赤松大尉が自決を命令したことにして公式書類等を作成したと認めた(産経新聞 2006年8月27日付)。(現在この公式書類は発見できない)


14.沖縄タイムス:戦隊長下の軍命証言/「集団自決」沖縄法廷:
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200709111300_01.html

沖縄戦時に慶良間諸島で相次いだ住民の「集団自決(強制集団死)」をめぐり、住民に命令を出したという著作への記述で名誉を傷つけられているとして、旧日本軍の戦隊長とその遺族が作家の大江健三郎氏と岩波書店に、出版の差し止めや慰謝料などを求めて大阪地裁で争われている訴訟の所在尋問(出張法廷)が十日、福岡高裁那覇支部の法廷であった。渡嘉敷島で「集団自決」を経験した金城重明氏(78)が被告岩波側の証人として出廷。兵器軍曹から住民に手榴弾が配られ、「一個は敵に投げ、もう一個で死になさい」と訓示があったと、後になって当時の兵事主任からじかに聞いたと証言。自身の経験とも併せ、戦隊長指揮下の軍命令なしに「集団自決」は起こり得なかったと訴えた。

 一方で原告・戦隊長側は、島にいた金城氏自身が手榴弾が配られた現場に呼ばれていないなどとして、兵事主任の話の信用性に疑問を提起。金城氏が指摘する軍命令について、何を軍命ととらえ、具体的にどう伝えられたか証言するよう求めたという。


15.沖縄戦集団自決問題について議論した場合,三つの立場があるように思われます。
(1) 日本政府・軍部は昭和の戦争について過ちをおかしたのであり,集団自決についても責任を取らなければならないという立場
(2) 軍部が悪いという先入観で自決問題を見るのではなく,座間味島の梅澤裕少佐,座間味島の女子青年団長宮城初枝氏,渡嘉敷島の赤松嘉次大尉の遺族,琉球政府の軍人・軍属や遺族の援護業務担当の照屋昇雄氏等の証言で主張されている事実を事実として自決問題を語らなければならないという立場
(3)渡嘉敷島で「集団自決」を経験した金城重明氏(78),宮城初枝氏の娘さんの宮城晴美氏等の証言等で主張されている沖縄県民の実経験に基づいて自決問題を語らなければならないという立場

16.ブログ:罵愚と話そう日本からの発言:教科書検定「沖縄の集団自決」:
http://bugswebblog.at.webry.info/200710/article_3.html
のコメント欄に書き込んだ,私のコメントを引用します。

渡嘉敷島の赤松嘉次大尉(当時25歳)や座間味島の梅澤裕少佐(当時27歳)等の資料を少し調べた所では,それらの資料に日本政府・軍部に沖縄戦集団自決の責任があるという主張を覆しうる程の決定的な事実が提示されているというよりは,両指揮官の極限状態での混乱した思考・行動等を示す事実が提示されているように,私には感じられました。
(記入: 07/10/09 15:35 藍愛和)

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沖縄教科書検定: 見ザル聞かずして言うな
対立意見の双方を紹介するというのは、難しいことでしょうか? 報道各社の真摯な姿勢を強く求めます。 ...続きを見る
白鳥一声
2007/10/15 22:17

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
おもしろく拝読させていただき、トラックバック送らせていただきました。
 すごい量の資料を集められていて、藍愛和さんの執筆に対する姿勢にただただ頭が下がる思いです。「両指揮官の極限状態での混乱した思考・行動」という観点は、目から鱗の思いでした。
 これからもブログがんばってください!
birds-eye
2007/10/15 22:21
birds-eye さん,今日は。

トラックバック,コメント有り難うございます。

birds-eye さんは学生とのことですが,政治問題に関心を持つのは良いことです。学業も含めて,御健闘をお祈りします。
藍愛和
2007/10/17 10:45

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