日本の対外戦争と世界の情勢

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zoom RSS 日露戦争・その四

<<   作成日時 : 2006/07/09 17:26   >>

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日露戦争(1904(M37)/2-1905(M38)/9)直前の韓国問題について、外務省編纂・外務省蔵版 日本外交文書 第三十六巻自明治三十六年一月至明治三十六年十二月 第一冊 日本国際連合協会発行 事項三 韓国の永世中立に関する露国提議一件 及びインターネット等を参照しながら説明します。日本は江華島事件以来朝鮮に利権を獲得し、日清戦争勝利によって、欧米植民地主義国に対して、韓国地域で優越した立場を築くことが可能となりました。小村寿太郎外務大臣と米韓露駐在日本公使とのやり取りを引用します。露国は朝鮮を日本から切り離そうと画策します。日英米はその画策に対して、それぞれの対韓国政策上の思惑を胸に秘め虚々実々の駆け引きをします。そして、そのやり取りの中から小村外務大臣と在米韓露の日本公使達それぞれとの関係とか微妙な考え方のズレとかを見て取ることが出来ます。皆様方にもその雰囲気を少しでも感得して頂けたらと思います。。
各文書の最初にある [2/16三九四]等は[1903(M36)年2月16日付け文書三九四]等を表します。

[2/16三九四]在米国高平公使より小村外務大臣宛 韓国中立問題に関する件 機密公第八号 三月十一日接受
本件に関し国務長官と第三回会談の要領及び之に対する本使の私見に付客年十一月二十四日付き機密公第四八号を以て具報に及び候。以来パプロフ氏は十二月初旬を以て一先ず露国に帰り、国務省某官吏は之を以て同氏が帰任前訓令を乞う為帰国せるものと思惟する旨を陳べられたること之有り候得共、其の目的の如何に係わらず同氏当地滞在中果たして露国大使より本件を米政府に提出せざりしものとすれば、同氏帰国後に於いて之を提出すること之なかるべしと存じ候に付き其の儘に打ち過ぎ居り候処、去る九日露国の関東所轄権に関する問題に付き国務長官と会談の序でを以て重ねて本件に言及し、爾来露国より何等提議の廉之無きやを相尋ねたるに矢張り同国の側よりは何等の聞く所之無き旨を相答えられ候。尤もパプロフ氏は昨日露国より帰来せる筈に之有り、来る十九日を以て新婚式を挙行し帰任する筈なる趣に候間、其の前米政府に向かいて何等提議する所之有るやも計り難く候得共、前報以来の事情一応報告に及び置き候。敬具 
明治三十六年二月十六日 外務大臣男爵 小村寿太郎殿 在米特命全権公使 高平小五郎(印)

[2/20三九五]在韓国林公使より小村外務大臣宛 韓国中立に関する露国提案に付き英国公使と会談情報の件
二月二十日後二、〇〇発 ” ”五、〇〇着 小村外務大臣宛 在韓林権助全権公使より
第七〇号
昨年九月機密第六〇号信朝鮮公使局外中立に関する露国外交官の考案は昨年第六七号電報により、本使は未だ当地駐在英国公使へは打ち明けざりしに、同公使は本件に関し栗野在露公使が昨年十二月在露英国大使に談話せる次第を本国より通知に接したる由にて、本日本使に其の要領を尋ねたるに付き、本使は最早秘密を守り難きものとして其の大要を談話し且つ今日迄之を内話せざりしは在東京前任米国公使が閣下に対し特に本件を秘密にせん事を依頼したる為なりと述べ置けり。右御含みを請う。又右様の秘密事項を発表するには特別の理由なき限り各地方に於いて成る可く同時期に発表せしめらるる様お取り計らい相成さるれば却って交際上に便宜多かるべし。

[2/24三九六]小村外務大臣より在韓国林公使宛 露国使臣等の考案に係る韓国中立案の件
明治三十六年二月二十四日発遣 必親展 在韓林公使宛 小村外務大臣より
本件に就き貴地駐在英公使に於いて昨年十二月中栗野公使より在露英大使へ談話の次第、本国政府より通報に接したる由にて、閣下に向け本件の要領相尋ね候趣、第七〇号和文電報を以て御申し越し相成り、了承致し候。帝国政府に於いては従来本件を秘密事項として取り扱い来たり、英政府へも未だ開示致さざる義に之有り。従って栗野公使より英大使へ内話ありたる由は閣下よりの来電にて初めて承知したる次第に候。就いては同公使に於いて果たして如何なる事情の下に如何なる程度迄本件を英大使に開示したるや相分からず候え共、将右様の事なき様訓示致し置き候間、右様御含み相成り度、此の段回答申し進じ候。敬具

[2/24三九七]小村外務大臣より在露国栗野公使宛 露国外交官等の考案に係る韓国中立案に関する件
明治三十六年二月二十四日発遣 極秘第四号 在露栗野公使宛 小村外務大臣より
昨年九月十九日付き第九七号を以て電報致し候、日米韓三国駐箚の露国公使等の考案に係る韓国中立問題の件は、帝国政府に於いて当分之を極秘に附する必要之有り、英国政府に対しても今日迄之を打ち明けざりし次第に之有り、従って該電報の儀は其の末段にも申し進ぜ置き候通り、「厳重の機密事項にして且つ閣下自身の御心得迄」に止める義之有り候処、此の程在韓林公使よりの来電に拠るに、在韓英公使は本件に関し昨年十二月中閣下より在露英大使へ談話せられたる次第を本国政府より通報に接したる由にて、本件の要領を林公使に尋ねたる趣に之有り、本大臣に於いて意外に相感じ申し候。就いては当方の参考迄に承知致し置き度く候間、右英大使への御談話は如何なる事情の下に於いて如何なる程度迄成され候義なるや、その辺御回報相成され度く、且つ又此の種の最機密に属する事項に就き他に御開談相成され候には、前以て本大臣の允准を求められ候様致され度く、左なくては種々支障も相生じ候次第に付き、向後は其の御含みを以て御措辨相成され度く、此の段申し添え候。敬具

[4/14三九八]在露国栗野公使より小村外務大臣宛 韓国中立案英大使に内話の事情に関する件
Petersburg, April 14th 1.30 p.m. Rec'd., " 15th 2.45 "
Komura, Tokyo.
No.33 Regarding your 極秘第四号, I simply tried to get information on the question of neutralization, saying that Izworsky, Cassini and Pavlow are its advocates, and I must say that that was already found in Japanese newspapers, and I cannot consider myself to have in any way violated confidential character of your telegram 97 of last year. For the future I shall wholly refrain myself from engaging with any body in conversations that may concern our national affairs unless specially instructed to do so.
Kurino
(概訳)
ペテルスブルグ、四月十四日午後一時三十分 受信同月十五日同二時四五分
小村外務大臣 東京 宛
第33号 貴電信極秘第四号に関して本使は、イズウォリスキー、カシニーそれとパウロフが唱道者であるという、韓国中立案の議論点についての情報を単に獲得せんものと努めただけであり、本使はその中立案が既に日本の諸新聞の記事の中に見出されていたということを主張しなければならない、そして本使は如何なる点に於いても昨年の貴電信 97 の機密特性を犯したなどと自分自身を見なすことは出来ない。向後に於いては本使は、特に話し合うべく命ぜられない限り、我が帝国の国家的案件に関連する可能性のある話し合いを何者に対してであろうとも為さない様、完全に自制する決意である。
栗野公使 より

[4/15三九九]在露国栗野公使より小村外務大臣宛 露国外交官等の考案に係る韓国中立案に関する件
極秘第四号
韓国中立云々に関し本使が在露英大使に談話したる件に付き、極秘第四号を以てお申し越しの趣了承致し候。右は昨年機密第三六号を以て報告申し進じたる英大使と会談の際談話したる事、即ちパウロフ氏の人となりに付き談話したる件は右会談筆記に記したる通りにて、其の節談緒を追い、本使が「同氏はカシニー伯及びイズウォリスキー氏と共に韓国中立の企図を懐き居るとの風聞あり、之に就き何等聞き込まれたるありや。」と問いたるに、英大使からは何にも聞き込みたることなしとの答えなりしを以て、別に御参考となるべきものとも思わざりしに付き、此の一節は会談筆記に載せざりし次第に之有り候。右にて如何なる事情の下に如何なる程度まで談話したるかは御承知相成られ度く候。
右の次第にして在東京米国公使が閣下に告げたる事及び御談話ありたる事等は勿論本官に於いて漏洩するの理由之無く、前記の通り唯風聞として談じたる次第に之有り候。閣下には疾くに御承知の通り当露国に於いては朝鮮中立論を主張する者も尠らず、殊に其の当時パウロフ氏が日本滞在中の挙動に付いては新聞は早速に嗅ぎ付け種々の風評をなし、其の内前記の如き事項をも之ありたること記憶し居りたるに付き、本使は之に談及したるなり。是決して昨年御内報相成りたる九七号電報の秘密を犯すべきものとは本使は聊かも思考せざりし次第に之有り候。況や本件の如く事朝鮮国問題に関するものにして帝国との関係浅からざる事柄なるに依り、当国註箚の公使としては総ての機会を利用して探求の道を尽くし帝国政府の政策を補助すること我ら遣外使臣たる者の瞬時も怠るべからざる責務と心得居り候次第に之有り候。然かる処本使就任後度々領収したる厳重なる御戒訓の趣に依り推定するに、本使平生の関係親密なると否とを問わず、又本使一己の資格を以てするとに拘わらず、国事に関する談論等は閣下に於いて認容せられざるが如くに察せられ、而して相手に依りては相親的信任の関係を結び置くべき必要あるを以て其の談話中自国の利益政策等を害せざる限りは、成る可く淡白主義を執る事亦已むを得ざることと存じ候。去り乍ら外国に駐箚する公使として外務大臣の意嚮に反する行動を為すは勿論本使の意見にあらず。依って向後は第三三号電報を以て申し進じ候通り、特に閣下より訓示せらるる事柄の外は間接直接とを問わす悉皆沈黙主義を守り、本使が本来執り来る方針を一変し其の任務に従事致す可きに付き、右様御了承相成られ候様致し度しと存じ候。
極秘第四号中本件は同盟国たる英国にさえ御打ち明かし相成らざりし程の秘密なる趣に候。処で日英同盟は日本の側よりすれば韓国が其の重なる目的なり。然るに同国に関することにして、米国には明かし、英国には之を秘せらるるに付いては必ず深き理由の存する事と存じ候。右は将来の心得にも相成り候事に候間、御差し支え之無き限り其の理由御示し相成られ度しと存じ候。右答申申し進じ候。敬具
明治三十六年四月十五日 外務大臣男爵 小村寿太郎殿 宛 在露国特命全権公使 栗野慎一郎(印) より

[コメント]文書[2/24三九七]の最初に「極秘第四号」とあり、文書[4/14三九八]の本文の初めに「極秘第四号」とありますが、この二つは小村外務大臣より栗野公使宛の同じ文書を表しています。文書[4/15三九九]の最初にある「極秘第四号」は栗野公使より小村外務大臣宛のこの文書を指しており、前二者とは異なるのではないか、と考えています。そして、この文書の本文最初にある「極秘第四号」は小村外務大臣より栗野公使宛の文書[2/24三九七]を指しています。この辺り、些末なことのようですが、極秘文書の番号がダブっているというのは、いかがなものかと素人なりに心配になりましたので、特別に取り上げました。

さて、本題の「三露国公使による韓国中立案」なるものは、正式に公表された文書などの実体があるのかどうか、疑問に思います。「日本外交文書第三十五巻自明治三十五年一月至明治三十五年十二月」を調べたのですが、発見することができませんでした。その顛末については、次回「日露戦争その五」で述べたいと考えています。
今回紹介した外交文書、その他について、私なりの感想を述べたいと思います。
(1) 小村寿太郎外務大臣の傲岸不遜とも見える不退転の決意行動は、在韓国林権助公使や在露国栗野公使への文書からも窺われます。小村外務大臣は何故かくも露国三公使提案とかいう韓国中立案を極秘にしたかったのでしょうか。素人の考えですが、大臣は韓国における日本の利権獲得と日本の安全確保のための橋頭堡構築とを目的とし、韓国の中立などという事はその二つの目的にとって障害となるとの信念を持っていたのでしょう。噂の煙が立つことさえ嫌ったものと見えます。

(2) 在韓国林権助公使は小村外務大臣の意中を良く理解し、大臣の実行しようとする方針を忠実に堅持しています。

(3) 在露国栗野慎一郎公使は小村外務大臣の職名だけではなく、爵位名も明記しています。そこで栗野公使の爵位についても調べてみました。
利用者:代言人/日本の華族 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E4%BB%A3%E8%A8%80%E4%BA%BA/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E8%8F%AF%E6%97%8F
によりますと、栗野公使は子爵ではないかと思います。爵位は公侯伯子男の順番だと思いますので、そのつもりで栗野公使より出された文書を熟読しますと、又別の発見があるかも知れません。
それともう一つ、気に掛かったのは林公使と小村外務大臣とのやり取りは数日の内に行われているのに、栗野公使は 2/24 の小村外務大臣の電報に対する返事を凡そ 50日(!)後の 4/14, 4/15 に出しています。その間に別のやり取りがあったのかも分かりませんが。

(4) 在米国高平小五郎公使の文書については、単なる事務的報告と思われ、別に感想はありませんが、唯米国の煮え切らないように思われる態度が気になります。
なお、高平公使については、
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/T/takahira_k.html
を見ますと、 1906(M39)年男爵になっていますが、上記 Wikipedia の「日本の華族」に名前が出ていないようです。

(5) 米国は露国から韓国中立案を持ちかけられたことになっています。米国は日本が極東アジアで強国となることについてペリー来航以来寧ろ支援しようとする態度を見せて来ました。日本の 1874(M7)年の台湾出兵時の、リゼンドル氏の行動はその一例でしょう。しかし、米国は朝鮮春生門事件(1895M28年)では露国と一緒に事件を起こしているように見えます。日清戦争(1894-95)での日本の圧勝は米国の想定になかったことなのかも知れません。今回の韓国中立案と露米の絡み合いは日本にとって油断のならないものであり、英国が米国の動きと日本の反応に神経を尖らせるのは無理もありません。第二次大戦でのカイロ会談やポツダム会談を思い合わせれば、英米露の駆け引きは日本人が素直に、表面的に受け取ったのとは又別の見方を可能にすると思っています。素人の独断と偏見ではありますが。
韓国中立案の歴史的分析については、次ぎの HP の記事と比較して下さい。
「ロシアの韓国中立化政策 -ウィッテの対満州政策との関連で」-
http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/publictn/46/soku/soku1.html

(6) 英国は第一回日英同盟によって、日本側に立っています。日英露三国せめぎ合いの真っ只中にある極東アジア北部に、他の欧米列国が割り込んでくることについては、英国は充分に慎重な対策を準備していたでありましょう。

(7) 露国は満韓二兎を追って、日本と対決する途を選びました。露国には油断があったと思います。重大な国策である筈の韓国中立案が在外三公使提案の形を取るなどということは、日本を軽視しているとしか思えません。或いは、外交交渉で時間稼ぎをして、極東での自国軍事力の強化に努めていたのかも知れません。或いは又、時間と共に、日本は露国の軍事的圧力の前に妥協し、戦争にまで持ち込む覚悟を持つことは出来ないだろう、と読んだ可能性もあります。

(8) そして、忘れてならないのは権利意識に目覚めた、世界中に広がる餓えた民衆の大衆行動であります。「妖怪」は一匹ではなく、何十・何百と生まれ出ていました。日清韓露英米ともに自国又は植民地の大衆運動という「うねり」に翻弄されながら、二十世紀初頭の極東アジアの風雲は急を告げていました。この狭い地球上に溢れるばかりの人類があらゆる手段を使って殺し合う、二十世紀の歴史が幕を開けたのであります。
(記入:06/07/09 16:20 藍愛和)

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