日本の対外戦争と世界の情勢

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zoom RSS 日露戦争・その二

<<   作成日時 : 2006/06/11 12:02   >>

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日露戦争(1904(M37)/2-1905(M38)/9)前の日露外交交渉について、外務省編纂・外務省蔵版 日本外交文書 第三十六巻自明治三十六年一月至明治三十六年十二月 第一冊 日本国際連合協会発行 事項一 満韓に関する日露交渉一件 から引用します。大日本帝国の対露交渉に於ける清韓両国に対する方針は、露国の清韓両国に対する方針と「瓜二つ」であります。即ち、日本は福建・韓国の植民地化を、露国は満州・韓国の植民地化を、それぞれ最終目標としています。
各文書の最初にある [6/23一]等は[1903(M36)年6月23日付け文書一]等を表します。

[6/23一]小村寿太郎外務大臣より提出 対露交渉に関する件 付記 日露協商案要領 六月二十三日 御前会議後閣議に於いて決定 (右御前会議列席者 伊藤 山縣 大山 松方 井上 桂 寺内 山本 小村)

東亜の時局に顧み其の将来を慮るに於いて帝国の執るべき政策は其の細目に入れば素より多岐なるも、要は帝国の防衛と経済的活動とを主眼とし、各種の経綸も主として此の二大政綱に基づかざるべからず。

而して此の政綱より打算するに於いて、帝国は南北二点に於いて大陸と最も緊切の関係を有す。即ち、北は韓国、南は福建之れなり。

韓国は恰も利刃の如く大陸より帝国の首要部に向かって斗出する半島にして、其の尖端は対馬と相距たること僅かに一衣水のみ。若し他国の強国にして該半島を奄有するに至らば、帝国の安全は常に其の脅す処となり、到底無事を保つべからず。

此の如きは帝国の決して認容する能わざる所にして、随って之を予防するは帝国伝来の政策とも言うべく、而して又一方に於いては京釜鉄道の完成を急ぐと同時に京義鉄道敷設権をも獲得し追って満州鉄道並びに関外鉄道と連絡して大陸鉄道幹線の一部となさざるべからず。

之れ韓国に於ける経済的活動の最も主要なるものなり。

次に福建は台湾に密邇して、互いに輔車の関係を有し、且つ中国大陸に於ける我が唯一の立脚点なるを以て其の運命も亦帝国に於いて決して之を傍観するを得ず。

蓋し、清国は積弊日に久しく所謂、病既に膏肓に入れるものにして、如何に改革を施さんとするも自力を以て其の独立を全うせんことは覚束なく、利益の分割は既に今日に於いても始まり居り、領土の分割は容易に行われざるべきも、我が方に於いては結局或いは右の場合に立ち至るべきを予想して、之に備えんこと、万全の策なるべく、而して右に関する施設の骨子とも言うべき鉄道経営は厦門福州を連ね福建省を貫きて江西省に入り、分岐して一方は杭州に一方は武昌に出ずる重要の線路にして目下既に清国当路者と交渉中に在り、右は所謂福建不割譲条約の精神を追い、勢域確立の目的に出でたるものにして其の他同地方に於ける帝国勢力の扶植は素より之を努めざるべからず。

然れども福建に関する問題は目下焦眉の急に迫れるに非ず。専ら将来を予想して之に備うるに過ぎざるも、韓国に於いては事情大いに之と異なり、露国は既に遼東に於いて旅順大連を租借せるるのみならず、事実的に満州占領を継続し、進んで韓国境上に向かって諸般の施設を試みつつあり。

若し此の儘に看過するに於いては露国の満州に於ける地歩は絶対的に動かすべからざるものとなるべきのみならず、其の余波忽ち韓半島に及び、韓城の宮廷及び政府は其の威圧の下に唯命是従うに至るべく、否らずとも露国は擅に其の欲する所を行うべきが故に、多年該半島に扶植せられたる帝国の勢力と利益とは支持するに由なく、其の結果終に帝国の存立を危殆ならしむる迄に推移すべきや疑いを容れず。

故に帝国の為に計るに今に於いて露国に対して直接の交渉を試み、以て事局の解決を図らんこと、極めて緊要にして、今日は既に其の機熟したりと言うべく、若し今日を空過せば、将来再び同一の機会に逢着すること能わず、大局既に去りて憾みを万世に胎すに至らん。

就いては此の際速やかに廟膜を定められ、其の結果を以て露国と交渉を開くべく、卑見によれば交渉の主眼は韓国の安全を図り、随て又満州に於ける露国の行動を成る可く条約の範囲内に限り、之をして韓国の安全に影響することなからしめ、以て帝国の防衛と経済上の利益とを全うするにあり。

而して右に関する協商の基礎は大約左の如くにして然るべき乎。即ち、
一、清韓両国の独立、領土保全及び商工業上機会均等の主義を維持すること。
二、日露両国は互いに其の韓国又は満州に於いて現に保有する正当の利益を認め、之が保護上必要の措置を執り得ること。
三、日露両国は上記の利益を保護する為必要なるか又は地方の騒乱により国際的紛擾を惹起すべき恐れある時は之れが鎮圧の為出兵の権あるを認むること。但し出兵の目的達せられたる時は直ちに之を撤すべきこと。尤も鉄道電線保護の為に必要なる警察兵は此の限りに在らず。
四、日本は韓国内政改革の為助言及び助力の専権を有すること。

若し、上記の主義を以て露国と協商を遂げたるに於いては帝国の権利と利益とは保障せらるべきも、露国をして之を承諾せしめんことは極めて難事と思考するに付き、一旦之を提議するからには万難を排し、飽く迄我が目的貫徹するの決心を以て着手すること、最も肝要なりと思惟す。

(付記) 日露協商案要領
第一条 清韓両帝国の独立及び領土保全を尊重すること、及び該両国に於ける各国の商工業をして均等の機会を得せしむるの主義を保持すべきことを相互に約すること。

第二条 露国は韓国に於ける日本の優勢なる利益を承認し、日本は満州に於ける鉄道経営に就き露国の特殊なる利益を承認すること。

第三条 露国は本協約の第一条、若しくは本協約調印前に公然発表せられたる露韓両国間の条約規定に背馳せざる限りは、韓国に於ける日本の商業的及び工業的活動の発達を阻礙
せざるべきことを日本に約し、又日本は本協約の第一条、若しくは本協約の調印前公然発表せられたる日清両国間の条約規定に背馳せざる限りは満州に於ける露国の商業的及び工業的活動の発達を阻礙せざるべきことを露国に約すること。
又、今後韓国鉄道を満州南部に拡張し、以て東清鉄道及び山海関牛荘線に接続せしめんとすることあるも、これを阻礙せざるべきことを露国に於いて約すること。

第四条 前条第一節の制限の下に日本は韓国に於いて露国は満州に於いて本協約第二条に掲げたる各自の利益を擁護するに必要なる措置を取るの権利あることを相互に承認すること。

第五条 前条記載の目的又は国際紛争を起こすべき叛乱若しくは騒擾を鎮定するの目的を以て、日本より韓国、或いは露国より満州に軍隊派遣の必要を見るに於いては、其の派遣の軍隊の如何なる場合に於いても実際必要なる員数を越ゆべからざること、且つ右軍隊は其の任務を果たし次第に召還すべきことを相互に約すること。

第六条 朝鮮海峡の完全なる自由航通を支障すべき軍事設備を韓国沿岸に為さざることを相互に約すること。

第七条 韓国に於ける改革及び善政のため、助言及び援助を与うるは日本の専占権に属することを露国に於いて承認すること。
該援助は本協約第五条に規定したる制限の下に兵力上の援助をも包含すること。

第八条 本協約は従前韓国に関して日露両国の間に結ばれたる総ての協定に替わるべきこと。

[コメント]植民地主義的帝国主義国家として台頭した新興国日本の対露交渉指針は、日本帝国の意気正に天を衝くの勢いを示すものであります。思い起こせば、 607(推古15)年第二回遣隋使として派遣された小野妹子は隋の皇帝煬帝に「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す 恙無きや。」と書かれた国書を奉呈しました。正に、推古の昔と相似た日本民族の高揚感があります。
(参照 HP:飛鳥の扉 聖徳太子http://www.asuka-tobira.com/syotokutaishi/shotokutaishi.htm)
7世紀初めの頃、新興国家の島国日本が何を言っても、中国大陸の大帝国隋も日本を攻撃することは出来なかったでありましょう。
一方、 20世紀初めの日本は日清戦争に勝利したとは言え、小さな島国です。欧亜に跨る大帝国ロシアに対して日本が対等の交渉をすることなど、世界中のどの国も予想しなかったでありましょう。何を根拠に日本の指導者達は対露対等外交を展開しようとしたのでしょうか。素人なりの知恵を巡らすことにしました。単なる独断と偏見ではありますが、それなりに勉強もして来ました。以下に列挙します。
1.米国は自国の極東アジア政策として、宗主国にも植民地にもなったことのない日本を梃子とし、この地域に新たな拠点を築こうとして日本に近づきました。米国は極東アジア政策に於いて他国より優位に立つための手段として、常に「独立」と「自由通商」の旗を高く掲げました。
(参照 日清戦争・その一 http://aiaiwa.at.webry.info/200510/article_4.html 
日清戦争・その二 http://aiaiwa.at.webry.info/200511/article_1.html) 
北清事変・その三 http://aiaiwa.at.webry.info/200603/article_2.html)

2.英国はバルカン半島でのロシア南下に対抗したのと同じ意図を以て、極東アジアでのロシア南下に対抗するために、日本と日英協約を結びました。(参照 北清事変・その六 http://aiaiwa.at.webry.info/200605/article_1.html)

3.露国は絶対王政のロマノフ朝が高まる社会的混乱や共産主義革命勢力の台頭等により、崩壊の瀬戸際に差し掛かっていました。(参照 ロシアの歴史 http://aiaiwa.at.webry.info/200601/article_5.html)

4.日本の政治・軍事指導者は「神聖ニシテ侵スヘカラス」と憲法に定められた天皇陛下を中心とする天皇制国家日本の団結に絶対の自信を持っていたように見受けられます。

5.日本の大衆は、当時の世界中至る所で勃発していた大衆運動の発展という世界の潮流に影響され、権利意識に目覚めつつありました。狭隘で資源のない国土と溢れる人口による生活の困窮は、より豊かな生活を求める大衆をして領土拡張・利権拡大・賠償金獲得のための対外戦争へと駆り立てました。(参照 北清事変・その六)

小村寿太郎外務大臣の日露協商案要領は簡単に言えば、韓国では日本が優位を占め、満州では露国が優位を占める、というものです。これは日英協商が「両締約国の特別なる利益に鑑み、即ち其の利益たる大不列顛国に取りては主として清国に関し、又日本国に取りては、其の清国に於いて有する利益に加うるに、韓国に於いて政治上並びに商業上及び工業上格段に利益を有する」と定めたのに倣ったものでしょう。
しかし、日本の日露対等の満韓問題処理提案は、ロシアの受け入れる所とはなりませんでした(参照 ロシアの歴史)。アジアでの譲歩は露国帝政の土台を危うくする恐れがあったのでしょう。
譲歩か戦争かという選択は、又、餓えた民衆を養わなければならない当時の多くの国家に取っては、常に直面しなければならない国家的難題であったのでありましょう。更にその選択は、又、餓えた民衆を養わなければならない21世紀の多くの国家に取っても常に直面しなければならない国家的難題でありましょう。
(記入:06/06/11 11:57 藍愛和)

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日露戦争(1904(M37)/2-1905(M38)/9)直前の満韓に関する日露交渉については既に,日露戦争その二:http://aiaiwa.at.webry.info/200606/article_1.htmlと日露戦争その三:http://aiaiwa.at.webry.info/200606/article_2.html とに,日本側の最初の提案の草案(03/06/23 本案提出03/08/12)とそれに対する露国の対案とを紹介して来ました。今回はその結末がどのように進んだのかを... ...続きを見る
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