日本の対外戦争と世界の情勢

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zoom RSS 北清事変・その一

<<   作成日時 : 2006/02/13 20:46   >>

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日露戦争(1904(M37) - 1905(M38)) の原因については、前回「ロシアの歴史」でブリタニカの見解を紹介しました。日露戦争の直接のキッカケは北清事変(1900(M33)/5-1900/9)ではないかと思います。この時代は、私の blog : 「日清戦争・その一」http://aiaiwa.at.webry.info/200510/article_4.html
でも説明しましたが、一般大衆が社会的権利意識に目覚め、民衆の参加した社会運動が各国で起こると共に、時代が進む度に政治・経済・文化等あらゆる活動が世界的な規模の繋がりを形成するようになりました。このような世界の流れに従って行動するか否かは、一国の興亡に直接関係します。従って歴史を語る時、特に19世紀・20世紀に於いては、民衆の態度・行動・思考・精神等を無視しては間違った歴史しか語ることは出来ないでしょう。勿論、各国の為政者が民衆とどう向き合ったかを等閑視することは出来ません。このことについては、「日清戦争・その五」
http://aiaiwa.at.webry.info/200512/article_1.html
でも申し上げました。

北清事変に関係した諸列国12ヵ国の 1900年頃の各国国内事情について簡単に記述します。ブリタニカ、インターネット等を参照しました。

1.[中国]満州族の大清国が漢民族を支配していたが、欧米列国の侵略を受け末期状態であった。西太后の宦官政治が宮廷に横行し、民衆はアヘンに溺れるなど、社会的混乱はますます増大した。義和拳教という宗教的秘密結社が扶清滅洋を叫んで、山東省を中心として排外暴力活動をほしいままにした。義和団の乱である。貧民達は群れをなして各地を流浪するのみという惨状であった。

2.[ロシア]ロマノフ朝ニコライ二世(在位1894-1917)が専制政治を行っていた。この当時、アジア進出だけは ”順調” に推移していた。非ロシア的なものへの弾圧を強化しようとする余り、近代化しつつあった社会に多くの混乱をもたらした。景気後退により失業者が増大し、学生運動はマルクス主義化するに従って、過激な行動に走り出した。社会民主主義運動への弾圧は、国内の運動を終息させたが、西ヨーロッパにおけるロシア人亡命者の革命運動に火を付けた。

3.[日本]立憲君主制度の政党議会政治が行われていたが、実質は元老達の恣意的な壟断政治であった。労働組合・社会主義研究会結成等近代化の動きが芽生えつつあり、近代産業の発達と共に劣悪な労働条件や環境破壊が社会問題化した。その一方、元老等の特権グループは文官任用令改正で勅任官の任用資格を制限し、治安維持法を制定して社会の近代化を妨害した。軍部大臣現役武官制を制定したことは軍国主義日本への道を開く転換点を作る原因となった。資本主義恐慌が起こり社会的矛盾が噴出しており、日本政界も亦大荒れに荒れた。

4.[英国]国名は 1900年当時 The United Kingdom of Great Britain and Ireland(1801-1927)であり、立憲君主制度の政党議会制による民主主義政治が行われていた。植民地主義的帝国主義国家として世界に君臨していた。ヴィクトリア女王(在位 1837/6/20-1901/1/22)の「君臨すれども統治せず」によって、議会制民主主義の一大成功例となった。しかし、植民地主義凋落の始まりと言われた南ア戦争で苦戦中であり、世界中から囂々たる非難を浴びていたのであった。千年以上前から今日迄続く対アイルランド紛争は益々深刻化していた。 

5.[ドイツ]1871/1/18-1918/11/9 という短い歴史のドイツ帝国はウイルヘルム二世(在位1888-1918)治下の立憲君主制の連邦国家で、議会制度はあるが皇帝の権限は非常に大きかった。複雑なヨーロッパ諸国の勢力関係の中で、群小諸侯が小国に分立していたドイツを統一したのは鉄血宰相と呼ばれたオットー・フォン・ビスマルクであった。皇帝ウイルヘルム二世はこのビスマルクと仲違いし、積極的な対外進出政策をとり、軍備を拡張して諸外国に対抗した。産業の発達はめざましく、諸科学の研究において世界のトップレベルにあった。経済的な安定によって、社会主義運動は暴力革命の道を進まず、社会改良の穏健な道を取ることになった。

6.[フランス]フランス第三共和制(1870-1940)の時代であった。大統領制度の立憲議会制民主主義政治によって、ドイツ帝国の蹂躙(1870-71)から見事に復興した。パリ万国博覧会とパリ・オリンピック(1900)が同年に行われ、パリは世界文化の中心となった。植民地の拡大、産業の発達、諸科学研究の隆盛に伴って国力が充実した。一方、ドレフュス事件(1894-1906)に見られるように、[ナショナリスト・教権主義者・右翼]対[共和派・反教権主義者・社会主義者]の抗争は激しかった。  

7.[米国]独立宣言1776/7/4, 承認1783/9/3- 以来、大統領制度の議会制民主主義政治が行われている。世界第一位の工業大国であり、労働組合は結成されたが、政治的な革命よりは社会的な地位向上を目指すものであった。マッキンリー大統領(在任1897-1901)は植民地主義政策を押し進め、米西戦争でキューバを保護国にし、プエルトリコ・グアム・フィリピンを獲得し、ハワイを併合した。名実共に世界の大国にのし上がった。

8.[ベルギー]ベルギー王国は独立宣言1830/10/4, 承認1839- の立憲君主国で、議会制民主主義政治が行われている。レオポルド二世(在位1865-1909)の時代に選挙制度を巡って暴動が多発した。コンゴ自由国の創設(1878-1885)と植民地への移行(1908)によって宗主国となった。

9.[イタリア]イタリア王国(1861-1946)時代であった。ウンベルト一世(在位1878/1/9-1900/7/29)治下で、立憲君主制度の議会制政治が行われていた。度重なるエチオピア侵攻と敗北によって国内は混乱し、経済不況と重なって、左翼運動が激化した。戒厳令と弾圧は民衆の大きな怒りを買い、汚職の横行と議会の混乱によって議会否定の動きが現れた。1900年7月国王が暗殺された。エマヌエレ三世(在位1900-1946)は自由主義者の唱える国王権限強化策を取らず、立憲君主として統治した。

10.[スペイン]後期ブルボン王朝(1875-1931)時代であった。アルフォンソ十三世(在位1886-1931, 母皇マリア・クリスティナ二世の摂政(1886-1902))治下で米西戦争(1898)に敗れ、北・西アフリカを除き、スペインの植民地帝国は崩壊した。立憲君主制の議会政治が行われていたが、選挙妨害や保護貿易は社会の混乱を助長したと言われている。

11.[オランダ]ネーデルランド王国(1814/3/30 - )時代である。ウィルヘルミナ女王(在位1890/11/23-1948/9/2, 母親エンマの摂政(1890-1898))治下で、植民地経営やドイツ貿易、イギリスとの合弁会社等によって経済的発展を成し遂げた。近隣大国に対しては中立政策によって、国の独立・安全を図った。

12.[オーストリア]オーストリア=ハンガリー二重帝国(1867-1918)時代であった。フランツ・ヨーゼフ皇帝(在位1848-1916)治下にあり、ドイツとロシア両帝国に挟まれ、世界の火薬庫バルカン半島に接する、多民族によるモザイク国家であった。

[コメント]欧米列国の歴史を 1900年で輪切りにして、断層写真のようにして観察しました。ヨーロッパという狭い大陸に沢山の民族・国家が存在し、それにアメリカという広大なヨーロッパ植民地国家が絡んでいます。アメリカはヨーロッパの歴史を引き継いでいます。ヨーロッパの歴史は恰も日本の戦国時代を見るようです。
旧制三高寮歌「紅萌ゆる」の一節に、

鳴呼(ああ)又遠き二千年
血潮の史(ふみ)や西の子の
栄枯の跡を思うにも
胸こそ躍(おど)れ若き身に

と謳われています。戦前日本の若きエリートの、世界に打って出ようとする情熱を彷彿とさせます。しかし、敗戦後の現在日本では西洋歴史の何を我々の手本とすることが良いのか、反省すべき時代になっていると思います。
1900年時のヨーロッパは近親憎悪にも似た戦争と革命の血にまみれています。そして精神的には、黄禍論に見られるように、アフリカ系民族やアジア系民族に対する無用の恐怖心を持ち、それがトラウマとなって植民地住民に対する弾圧・搾取をくり返しています。

2006年現在の世界情勢を見る時、欧米諸国は大昔のイスラム世界の膨張やモンゴルの支配を何時までも恐れる必要があるのでしょうか。欧米諸国はシベリア、南北アメリカ、アフリカ、オーストラリア、ニュージーランドに広大な領土を獲得し、主要強国は核武装し、世界の富とエネルギーを独占しています。ヨーロッパやアメリカの人達が今だに日中による反欧米同盟を現実問題として議論し、恐れているのを聞くと、余りにも狂的恐怖心を持っている彼らに、此方が怖くなります。恐怖の連鎖はお互いに最悪の結果を招くだけである、と知るべきではないでしょうか。
征服欲と恐怖、貧困と憎悪、飽くなき欲望は北清事変や他の事件・戦争の根本的原因でありましょう。
(記入:06/02/13 20:40 藍愛和)

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