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zoom RSS 日清戦争・その十

<<   作成日時 : 2006/01/17 06:44   >>

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閔妃殺害事件について、続けて書きたいと思います。日清戦争・その二、その三等でも引用した、日清戦争実記 第四拾参編 東京 博文舘蔵版等 から、幾つか資料を抜き書きします。

以下は、東京日日新聞の記事を資料としたもののようです。

実記P.17 大院君の訓諭 近日群小聡明を塞ぎ、賢を退け奸を用いる。維新の大業中道にして廃し五百年の宗廟、一朝にして危うし。余宗新の家に生まれ、座視するに忍びず。故に今宮城に入り大君主を輔翼し、群邪を逐斥し、維新の大業を成就し、五百年の宗廟を扶持し、以て爾等百姓を安んぜんと欲す。爾等百姓其の堵に安んじ其の業を守り敢えて軽動する無かれ。もし爾百姓もしくは兵弁、我が行を阻む者あらば即ち必ず大業あり。爾等悔やむとも及ぶ無し。開国五百年八月 国太公

実記p.18, p.19 廃后と嬪号 変乱は少時にして沈静したるが、国王は閔后を廃して庶人となすの詔勅を発せられたり。(注: 廃后の理由の一つに、事変の出ずるや朕を離れ其の身を避けて壬午の往事を踏襲し、訪求すれども出現せず。と書かれています。)
次いで閔氏に嬪号を下賜しあり、是王太子の孝誠と情理とを顧念し賜うなり。

実記p.21, p.22 変事と本邦人との関係 この間壮士等は選抜隊と共に後宮に侵入し、種々の乱暴を働いた。殊に数名の官女に保護せられたる貴婦人を捉えて殺害したり。蓋し壮士等は王妃と認めたるが為であるが、彼らはもとより王妃の御容貌如何を知らざりき。併し不幸なる王妃は此の内に御座したらんと言う。一説に依れば此の貴婦人は程なく火葬せられたりとも伝う。此の凶行者中壮士多く打ち交じり、然も専ら手を下したる者あるを目撃したと証言する**氏の如きあり。
一説に依れば、後宮には一貴女の多数宮女に護衛せられたるがありしかば、さてこそ王妃ならんとて矢庭に凶刃を加えたりという。又この内には世子宮も在りしが、幸いに難を逃れ給い、且つこの一貴女を殺害したる者の面相を見覚えさせ給い、つぶさに写し取りて之を某公使に送られたりとも聞く。尚一両人の男子居合わせ防御を努めたり。その内の一人は確かに宮内大臣李耕植氏なりき。

「日本」、「中央」両紙等に新帰朝者某氏の談として載せられた記事も資料とされています。

実記p.23 新帰朝者の談 去る八日の事変は、厄介なる朝鮮の舞台に演出したる出来事なれば、或いは種々の関係生じ事或いは面倒なるべし。然れども当時の騒動は、日本にて風説するが如き騒動にあらずして、日本居留地は勿論各国居留地の住民の如きも、その過半は砲声だも耳にせざりし程にて、単に騒動の上より言えば、騒動と言わんより寧ろ児戯というべきのみ。

実記p.24 事変の際日本服装の韓人ありし事に付いては目下種々の疑いを生じたる由なるが。余の聞く所に依れば韓人にして、日本服を纏い日本刀を帯びたるものありしは事実にて、又一、二の日本人の加わり居りたるも事実なるが如し。

全然話が反対ですが、之に関連して、日本外交文書第二十八巻その一・その二 に興味ある文書があります。
1895M28/10/10三六五 三浦公使より西園寺外相代理宛 京城守備兵召還稟申に付き答弁並びに邦人の事変に加入事実報告の件 (前略)王宮に進入したる日本人の処分につき何分の訓令を仰ぎたし。尤も朝鮮政府よりは日本人は殺害等乱暴の挙動は一つもなかったとの証明書を取り置きたり。又大院君よりも其の随行の朝鮮人に日本服を着せしめたるは朝鮮人は常に日本人を恐れるゆえ、故意に多数の偽日本人を作りたりと言わしめ、政府その他の人々と言い合わせたり。此の二件は外国人に対し水掛け論の辞柄(うまい言い訳のタネ)となす考えなり。
1895M28/10/11三六八 三浦公使より西園寺外相代理宛 露米兵入京並びに内閣更迭を報告の件 昨日午後四時露米二代理公使謁見して、兵若干を以て王宮を守備すべき旨、奏上したる所、国王乱既に平きたればその議に及ばざる旨を答えられたるに、両公使は然からば公使館護衛の為、是非とも兵を入京せしむべしと陳奏したる由。(中略)朝鮮王室にては王妃の事に付き、唯、所不分明と唱える迄にて未だ殺害せられたる声を認めず。又民間にては王妃は乱を避けて遠く逃れたりとの説多し。(以下略)

[コメント]日清戦争実記 第四拾参編 東京 博文舘蔵版等 を参照しても謎は深まるばかりです。私の疑問を再び幾つか書き出すことにします。前回その九では6箇条の疑問を表明しました。
(7)後宮に於いて、当日殺害されたという貴婦人は果たして王妃であったのか。
(8)殺害された婦人が焼却されたというのは、火葬のためか、身元を隠すためか、それとも殺害という事件を隠すためか。
(9)世子宮は皇太子のことと思うが、王妃殺害現場なる所に、皇太子を始め多数の目撃者が居たにも拘わらず、事変から三日後の 10/11 においても尚、王妃殺害の事実が朝鮮の当局者から公表されないのは何故か。
(10)三浦梧楼氏は、いかにも自分が首謀者であるかのように振る舞ったり、好辞柄捏造の内幕を上司に自ら暴露したりしているのは何故か。
(11)そもそも、朝鮮国駐在日本公使が井上馨氏から三浦梧楼氏に変わったのは何故か。
(12)露人サバチン氏なる人物は王妃殺害の日本人下手人を実見したそうであるが、氏が殺害現場にいたのは何故か。(サバチン氏については資料入手し次第書き込みたいと思います。)
(13)日清戦争実記にある東京日日の記事について、ニュースソースは誰か。
(14)「日本」、「中央」両紙の新帰朝者某氏のニュースソースは誰か。
(15)米人ダイ氏は王妃殺害について、どの程度コミットしていたのか。(ダイ氏については尋問調書が存在するそうなので、これも資料入手し次第書き込みたいと思います。)
(16)日本政府は王妃殺害事件について事前に何の工作もせず、或いは何の情報も入手していなかったのか。
(17)閔妃、大君主、大院君の御三方は事変のあった場所及び時間に於いて、互いに、どのように考え、どのように行動し、どのような関係にあったのか。
(18)日露米三公使館はそれぞれ王妃殺害事変にどのような関わりを持っていたのか、或いは全く関わりは無かったのか。
(19)日露米三国はそれぞれ王妃殺害事変にどのような関わりを持っていたのか、或いは全く関わりは無かったのか。
(記入:06/01/17 06:20 藍愛和)

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