日本の対外戦争と世界の情勢

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zoom RSS 日清戦争・その九

<<   作成日時 : 2006/01/15 21:39   >>

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日清戦争の戦後処理中に起こった閔妃殺害事件は以後の極東アジアの情勢に決定的な影響を与えたと思われます。即ち、極東アジアは中近東と並ぶ世界の火薬庫となりました。極東アジアは国際問題の解決を平和的な話し合いではなく、全て権謀術数と軍事戦闘によって解決しようとする動乱の時代に突入しました。極東アジア二百余年の平和の夢は世界の激しい権力闘争の激流に、うたかたの如く消滅したのです。
閔妃殺害事件について、
#1.日本外交文書 第二十八巻 自明治二十八年一月至明治二十八年十二月 その一・その二 事項八 王城事変
#2.新聞集成 明治編年史 第九巻 日清戦争期
#3.日韓外交史料 第五巻 韓国王妃殺害事件 市川正明編 原書房刊
#4.インターネット 閔妃 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%94%E5%A6%83%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
等を参照しながら、調べたいと思います。以下の記述で日付は全て 1895(M28)年内の日付です。日付の後の漢数字は文書番号です。

10/8三五四 三浦公使より西園寺外相代理宛 訓練隊と侍衛隊の衝突状況等報告の件 今日八日午前三時訓練隊と侍衛隊との衝突があったが、我が守備隊は鎮圧に努め僅かに二個銃発の砲声を聞いただけである。国王世子とも御平安であられるが、王妃の所在未だ不明である。(中略) 本官は国王の召しに応じて六時頃参内した。
10/8三五九 三浦公使より西園寺外相代理宛 王妃殺害事変につき各国使臣との談話報告の件 本日午後三時半から外国公使が揃って来館し、事変の顛末を尋ねた。本官は報告(三五四)の通り説明した。露公使は(1)王妃の所在不明である(2)大院君入内には日本兵が前衛をした(3)王宮への途中や王妃の御門の傍ら等に日本人が平服に帯刀して数十余名程居るのを見た(4)数名の平服の日本人が王妃の殿内に入り、婦人を斬り殺しながら、王妃の所在を尋ねていた、等の主張をした。本官は守備隊指揮官からそのような報告を聞いていないので、軽々しくは信ずることができない。又、本件について厳重取り調べる必要があることは本官も認めると説明した。露公使は日本の公使が充分な兵を持ちながら、このような事件を防ぐことができなかったのは残念だと言った。以上談話の概略を報告する。
10/10三六七 西園寺外相代理より小村寿太郎政務局長宛 事変調査のため小村政務局長渡韓に際しての内訓案 (以下略)
10/12[付属書七] (前略) 王后閔氏の坤徳(皇后の徳)備わらざるを以てやむを得ず廃して庶人となしたる旨ご来示の赴き領解し、驚嘆の次第であります。国家国民の為、此の乾断(国王の決断)がなされたこととは申しながら、このような不幸がある中では貴国の為に実に遺憾の至りと存じます。(以下略)外部大臣金允植閣下 特命全権公使子爵三浦梧楼
10/14三七三 西園寺外相代理より三浦公使宛 朝鮮国王后内定起因問い合わせの件 韓廷にて更に王后を立てることに内定し近日発表されるとのことであるが、これは何か閣下より韓廷に申し入れたるに起因せしか。(以下略) 三七五 三浦公使より西園寺外相代理宛 王后内定起因問い合わせにつき回答の件 王后を立つることの内定は国王の発意にて本官より申し入れたることにあらず。(以下略)

10/17三八四 西園寺外相代理より在朝鮮小村政務局長宛 朝鮮国駐在公使に任命通知の件 貴官本日弁理公使に任ぜられ朝鮮国駐在を命ぜられたるに付き三浦公使より事務引き継ぎを受くべし。
10/17三八六 小村局長より西園寺外相代理宛 王妃殺害事変に日本の関係有無につき露公使言明の件 露国公使は此の事件に日本政府は関係していないと固く信じている旨明言した。(中略) 王妃の死骸を焼き捨てたということは米国人ダイが実見したとのことで、一般外国人も亦これを知っている。
10/22三九四 駐米栗野公使より西園寺外相代理宛 王妃事変邦人関係者処罰並びに朝鮮国承認に関する国務長官談話報告の件 国務大臣曰く有罪者は相当に処罰し法を正せば日本政府は全く非難を免れるべし。同大臣は朝鮮現政府承認云々に関し在韓外国使臣の執りたる措置は笑止なりと言えり。
10/23三九五 侯爵西園寺公望外務大臣臨時代理より伯爵井上馨宛 朝鮮国派遣に付き内訓の件 (以下略)

11/28四六一 小村公使より西園寺外相代理宛 午前八時十分発:旧侍衛隊の王宮襲撃を報告の件 (以下略) 四六二 京城在勤内田定槌領事より西園寺外相代理宛 午前九時二十二分発:王宮襲撃の首謀者につき報告の件 昨夜十二時頃王宮を襲った暴徒の首謀者は当国人李範晋及び米国人アンダーウッドなる者らしく、日本人が関係したとは聞いていない。猶取り調べて報告するであろう。 四六三 西園寺外相代理より在大磯陸奥外務大臣、在神戸井上伯宛 午後二時二十分発:李範晋の陰謀たりし旨報告の件 昨夜の騒ぎに我が兵関係なし。李範晋露公使館に逃げ込み三百人ばかりの人数で今夜子の刻王宮に乱入するという陰謀が露見し、総理大臣と軍部大臣より鎮圧について協議するため、公使は今内閣に行ったところである。李周会(前の軍務協弁)が罪人として捕縛された。
12/2四六八 小村公使より西園寺外相代理宛 李範晋露国軍艦にて逃亡を報告の件(以下略)
12/30四七四 小村公使より西園寺外相代理宛 十一月二十八日王城事変の顛末詳細報告の件 十月八日事変以来露米両公使館に潜伏していた、李範晋を始め李学均、李允用等二、三百人が王城に押し入ろうとした。これは十月八日事変で頓挫した閔派内閣を再び作ろうとしたようである。二十八日午前三時砲声、吶喊の声を聞き、本官は高島書記に巡査二名をつけて偵察させ、我が守備隊には決して妄動しないこと、居留民保護に留意することを通告した。襲撃は失敗し、暴徒は城内に入れなかったが、警戒を怠らなかった。
二十九日午前一時再び銃声と共に千人余りの兵士・刺客が春生門等に押し寄せた。暴徒は王宮内の守備兵と内通し、共に蜂起する予定であったが、事前に漏れたため内応する者なく、却って守備隊に激しく攻撃され、一部は降伏した。魚允中軍部代理大臣は無用の銃撃を厳禁し、自ら春生門の高楼から暴徒を説諭し、彼らは大部分退散した。
一方、王城内では銃声と共に米人リゼンドル、アンダーウード、アッペンゼイラ、エビソン、ニンステッド、ダイ等六人は宮殿内に押し入ろうとして、門衛を短銃で威嚇した。当直仕官は激怒して、哨兵に攻撃態勢を命じた。彼らは番兵小屋に押し込められたが、何故か勝手に退散していた。その他城門外で目撃された西洋人が何人かいる。
今回の襲撃に参加した者には露米公使館が関係していたこともあって徹底糾明は困難であろうとの噂がある。死刑に処せられたものは首謀者李道徹隊長と林最洙侍従職の二人で、他の者の刑は軽微である。
(追伸)王宮内の守備を嘱託せられた米人ダイ、ニンステッドの両人は今回の罪により、王宮を追われ、その雇いを解かれるだろうとのことである。

#3.日韓外交史料 第五巻 韓国王妃殺害事件 市川正明編 原書房刊 には、王妃殺害関連の外交文書は明治二八年十月二日から二九年八月四日まで、全部で三七三件あり、他に付録三件があります。この書物には市川正明教授の解説がありますが、予見を持ちたくないので、読みませんでした。重要なのは出来るだけ未処理の生の資料であると考えています。一つだけ資料を紹介します。
M29/1/20三五三 広島地方裁判所 韓国王妃殺害事件予審終結決定書 於広島地方裁判所 予審判事吉岡美秀 裁判所書記田村義治 三浦梧楼訊問調書(続)の内、三浦梧楼事実訂正願い 自分被告事件就中[殺害]云々の件に付き御尋問の回数重ねるに随い知らず知らず最初申し立てた主趣が自然薄弱に傾いた恐れがある。よって今ここに前言に相違無いことを証明致し置く。
抑も予想外に此のような挙動を日本人中になしたる者ありとすれば、是畢竟その場の勢いのしからしめるものであって今般大院君の改革を助成した目的には毛頭之れ無し。殺と不殺の事は彼の国人の勝手のみであって日本人は始より預かり知る所ではない。尚又お訊ねの答に、衆人常に言う王妃ありては朝鮮の事は無駄なり等と、このような答えの末或いは恐れる、自分も言ったであろうように感ぜられないだろうかと。自分は嘗て此のような言を口外した事は決してない。或いは平常酒席談笑の間に戯れ半分に人の言ったように思い出しただけであって、答弁の序でに申し述べたまでの事である。
これは要するに万一にも[殺害]を以て大目的と仮定したとすれば、第一に少数にても[殺害]担当の適任者を選定し、応援補助の任務を画し、一切の手配も自ら綿密に為さざるを得ないであろう。どうしてこのような不規則放縦の行為をさせようか。まして自分は軍人としての習慣を持つにおていはなお更である。是即ち[殺害]に目的を置かなかった一つの証左である。
右二件更に念の為訂正証明するものである。 明治二十八年十二月十二日 広島県監獄署刑事被告人三浦梧楼 広島地方裁判所予審判事吉岡美秀殿 
(注:[ ]は原文では二字伏せ字となっています。私が勝手に想像して「殺害」としました。)

#2.新聞集成 明治編年史 第九巻 日清戦争期 によれば、三浦梧楼被告人以下四十八名は無罪放免された、とのことである。
「閔妃謀殺事件の予審終結す 三浦梧楼以下四十八名無罪放免」 [1/23時事]朝鮮事件の被告人三浦梧楼氏以下四十八名去る二十日証拠不十分の故を以て免訴の言い渡しを受けた。予審終結決定書を得たれば、次にその全文を記す。
(前略)当国二十年来の禍根を絶つは実に此の一挙にありとの決意を示し入城の際王后陛下を殺害すべき旨教唆し云々。(中略)被告梧楼の教唆に応じ王后陛下を殺害せんと決意して同志者の招集に尽力し云々。(中略)王后陛下を殺害すべき被告梧楼の教唆を伝えられ云々。(中略)而して被告岡本柳之助は其の際表門に一同を集め、入城の上狐は臨機に処分すべしと号令し、以て王后陛下の殺害の事を教唆し云々。(中略)
同日払暁の頃光化門より一同王城内に入り、直ちに後宮まで至る等の事実ありと雖も、前記の被告中その犯罪を実行したるものありと認むべき証憑充分成らず。(中略)以上の理由を以て刑事訴訟法第百六十五条に従い各被告人総て免訴し、且つ被告三浦梧楼以下(氏名略)は各放免す。(中略)
明治二十九年一月二十日 広島地方裁判所に於いて 予審判事吉岡美秀 裁判所書記田村義治
原本に拠り此の正本を作るもの也 於広島地方裁判所裁判所書記田村義治

[コメント]明治二十八年八月から十二月までの王城事変を観る時、日本が国際間抗争において、惨めさを感ずる程に不慣れさを露呈しているのには、心底悲しくなります。日本は今だに王妃殺害の汚名を着せられ、日清戦争では八千余人の戦病死者を出し、多大の戦費を費やしながら、得た物は台湾と周辺諸島のみです。
台湾は占有したものの猛烈な台湾住民による独立の為の抵抗運動に悩まされました。(これについては適当な資料をご覧下さい。独立のための抵抗運動を討伐するのは植民地主義者のすることではないでしょうか。日本が外国によってそのような立場に追い込まれたことを、誰か先覚者がいて自覚していたのでしょうか。領土拡大に当時の日本人は大喜びしたのではないでしょうか。) そして、50年後には台湾を盗み取ったとの汚名を着せられました。
(カイロ宣言参照: http://list.room.ne.jp/~lawtext/1943Cairo.html)
それに較べて欧米植民地主義者はどうでしょうか。一兵も損ずることなく、舌先三寸で、日本が得た以上の利権を清国・朝鮮から手に入れているのです。何よりもこの王城事変で私が惜しむのは、日本が植民地主義者からアジアを守る防波堤となるとの名誉ある地位を完全に失ったことです。
此処で私が不思議に思うのは、日本がそのような立場に追い込まれながら、なお欧米の心ある国は日本に好意的であるという風に、多くの日本人が錯覚していたということです。日本人のお人好し振りには全く付ける薬がありません。日本人はもっと外国との交際を深めて辛い思いも経験しながら、世界を広い視野を以て観察することによって、より賢明に成らなければならない、と私は確信します。

王妃殺害については、私も沢山の疑問を持ちました。
(1) 何者かによって王妃殺害という人に見られては困る犯罪行為が行われている時、日本人が平服で日本刀を振り回して、衆人環視の中で集団行動をしていたのは何故か。
(2) 米国人ダイ氏が王妃焼棄を実見したということは衆知のことであったのに、殺害犯人が特定できていないのは何故か。
(3) 春生門事変に関係のある米国人リゼンドル氏は日本の台湾出兵時に日本の為に大活躍したリゼンドル氏と同一人物だろうか。彼が当時の朝鮮に居たのは何故か。
(リゼンドル氏については、次を参照して下さい。
東瀛小評 「大東亜共栄圏」の起源に関わる一事実
――リゼンドル「第四覚書」の存在――
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/y-kanatani/minerva/Column/2004/c20041009.htm
この項記入: 060117 06:00)
(4) 日本人が王城内で白刃を振り回したのに、日本政府の責任は一切問われなかったのは何故か。
(5) 王妃の死について何の真実も公表されない内に、朝鮮大君主陛下は王后閔氏を廃して庶人にしたのは何故か。また事変後数日で新王后を立てようとしたのは何故か。
(6) 露米両公使館は王妃殺害から二ヶ月足らずで再び春生門事変を起こしたのは何故か。

この外にもまだまだありますが、以上の疑問の中で一つでも、二つでも真実が動かぬ物証を以て明らかにされない限り、王妃殺害の犯人については確定的なことは何も言えないのではないでしょうか。
(最終校正:06/05/11 50:30 藍愛和)

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
一つだけ。
リゼンドルは、1895年7月16日に李氏朝鮮の宮内顧問になったようです。
http://www.jacar.go.jp/cgi-bin/image.cgi?image=2&refcode=B03050001800&page=44

もっとも、春生門事件(11月28日事変)の際の身分は分かりませんが。

http://dreamtale.ameblo.jp/
dreamtale
2006/01/26 20:14
当ブログに早速足をお運び頂き、ありがとうございます。

http://www.jacar.go.jp/
について。

アジア歴史資料センターと言いまして、生史料を見る事が出来ます。
最も、まだ完全には整備されていないのですが。
使い方については、
http://dreamtale.ameblo.jp/day-20050402.html
を見ていただければ分かりやすいかと。

それでは、これからもよろしくお願い致します。
dreamtale
2006/01/27 19:21
リゼンドル氏について

dreamtale さん、今日は。
リゼンドル氏について、御指摘有難う御座います。昨日はパソコンの前に座る時間が無くて、貴方のコメントは今日気が付きました。
貴方の blog 拝見しました。感服の至りです。今後とも参考にさせて頂きます。
そして、御指摘の HP については、後程詳しく拝見したいと思います。
取り敢えず、御礼まで。 
060127 17:55 藍愛和
藍愛和
2006/01/27 20:22
dreamtale さん、今日は。御教示有難う御座います。
早速国立公文書館 アジア歴史資料センター:
http://www.jacar.go.jp/
にアクセスしました。利用案内を見ますと、

2.資料閲覧にはDjVuビューアー(プラグイン)が必要です。

とありました。私はパソコンはソフト、ハードとも素人で、無料ソフトのダウンロードは大抵失敗しています。恐らくパソコンショップでプロにやって貰うと思いますが、折角の御紹介ですので、利用したいと考えています。
では、用件のみにて、失礼します。
060127 20:10 藍愛和
藍愛和
2006/01/27 20:25

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