日本の対外戦争と世界の情勢

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zoom RSS 日清戦争・その一

<<   作成日時 : 2005/10/27 19:33   >>

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日清戦争について、先ずインターネットで調べました。内容を詳しく読んだわけではありませんが、「日清戦争」で検索して最初に提示された HP のうち次の二つが分かり易いかと考えましたので、紹介します。

日清戦争: 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%B8%85%E6%88%A6%E4%BA%89

日清戦争: 大連紀行 Yotsumoto's Homepage 内の日清戦争:
http://www.mars.dti.ne.jp/~yotumoto/nisin-nitiro/nissin.html

日清戦争が行われた 1894年から1895年頃以前の世界情勢を見てみましょう。イギリスの名誉革命(1668- )やアメリカ独立戦争(1775-83)やフランス革命(1789- )で、世界に姿を現した市民運動による社会変革の波は19世紀では、更に力を加えて世界に広がりました。
フランスでは七月革命(1830)・二月革命(1848)、イギリスではチャーティスト運動(1830- )、マルクス・エンゲルスの共産党宣言(1848)、アメリカでは南北戦争(1861-65)、ロシアでは農奴解放(1861)、イタリアの統一(1861- )、ドイツの統一(1867- )等々。
国際的運動としての第一インターナショナル(1864-76)・第二インターナショナル(1889-1914)・国際赤十字社(1864)・国際オリンピック大会(1896)等々。
社会的な権利意識に目覚めた民衆は自らの欲望を満たそうとします。それを制御する方法は道徳でしょうか。宗教でしょうか。或いは政治でしょうか。その答えは歴史が明らかにしています。結論を先に言えば答えは「戦争」です。これからそのことを明らかにしたいと思います。
その前に、欧米以外の世界の情勢を調べてみましょう。荒っぽい言い方ですが、欧米以外の世界にはルネッサンスもなく宗教改革もなく産業革命もなく、何百年と続く社会制度に閉じこもって、ゆっくりと進歩発展していました。彼らの平和で安全な社会は、勿論内部的な抗争はあったでありましょうけれど、外部からの圧力には余り曝されずに来ました。しかし、16世紀以降彼らの安眠は許されませんでした。欧米の植民地政策によって、欧米以外の世界の全ての民族は除除に抹殺され、又は隷属状態で搾取されました。一、二の例外を除いて。そして、その植民地支配に対して、多くの民族は抵抗運動を起こしましたがさしたる成果を挙げることは出来ませんでした。
私の独断と偏見かもしれませんが、世界中の国家は宗主国であるか、植民地であるかの何れかに分類されました。漢民族は満州民族の清国に支配されていました。朝鮮も清国への朝貢国でした。唯一の例外と考えられるのは我等が祖国日本ではないでしょうか。
極東の小さな島国であり、二百六十余年間鎖国中であった日本は果たして世界的な帝国主義の荒波を乗り切ることが出来たのでありましょうか。此も亦、歴史が明らかにしています。しかし、その歴史を正確に理解することは、当事者である日本人故に簡単に出来るものもありますが、当事者であるが故に却って客観的に観察することの出来ない部分もあるように思います。
日本人以外の誰が考えても欧米による世界の植民地化の流れに立ち向かって戦うことは、暴虎馮河の蛮勇と言うべきであったでありましょう。そうでありながら、なお日本は敢然として立ち上がったという見方に従って、世界の歴史を見直すことにより、 1874年の台湾出兵から、 1945年のポツダム宣言受諾までの凡そ 70年間、戦争に明け暮れた疾風狂涛さながらの日本の歴史を正確に読み解くことが出来る、と私は考えます。即ち、世界全体を視野に入れながら、日本人の思想・行動については自分自身の知識・判断を大切にしながら、日清戦争について書き込みをしたいと思います。

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