日本の対外戦争と世界の情勢

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zoom RSS 台湾出兵・その六

<<   作成日時 : 2005/10/18 21:47   >>

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「日本外交文書第七巻自明治七年一月至明治七年十二月」
事項一 台湾出兵一件(二〇四項目三三八頁)から。

前回までに、この文書の七六まで紹介しました。以下については、日付順に概略を紹介し、重要事項は詳しく説明します。日付は全て明治七年(1874年)内のものです。次に、七七等とあるのは、文書番号です。疑問のある方は原文を御覧下さい。

6/18七七。寺島外務卿と英国公使との対話書。日本の行動は万国公法に反するとの英国公使の意見。
6/20七八からは殆どが日清間の和平交渉に関するものです。詳細は省きます。なお、それ以外の項目については必要なものを或る程度詳しく述べます。
6/26八三。米国船ニューヨーク号が台湾行きを差し止められた件について日本は裁判に持ち込みます。しかし、それが神奈川にある米国領事裁判所というのですから・・・。不平等な日米修好通商条約の下、日本は苦労しています。
7/9九二。獨国人シエーンベルゲル医師を台湾差し向け。台湾では日本人はマラリアに苦しんでいました。
7/27百。寺島卿、英国公使と対話。7/28百二。寺島卿、米国公使と対話。
8/2百四。大久保利通、弁理大臣に任命。
8/10百十一。ニューヨーク号裁判敗訴のため、日本は米国加州地方裁判所へ控訴。その時のサンフランシスコ在勤日本領事代理は「ブルークス」という米国人らしい?信じられる??!!
8/12百十二。リゼンドル氏、廈門にて拘束されるとの噂。
8/14百十七。リゼンドル氏、8/6廈門にて米国軍艦員により、領事館に連行され、拘束されたが、8/7五名の保証人が保釈金を積んで、リゼンドル氏は保釈された。
9/4百三四。寺島卿、仏国公使と対話。
9/16百四一。大久保大臣、在清英国公使と対話。
9/26百四五。在清英国公使、日清間調停申し出。
10/1百四九。米国公使より寺島外務卿宛、ワツソン氏渡台今一応差し止め指令申し込れの件
10/14百五九。大久保大臣、在清英国公使と対話。
10/14百六十。大久保大臣、在清仏国公使と対話。
10/25百七五。台湾出兵事務局御用係、英国人 2 名、仏国人 1 名雇い入れ。
10/25百七六。大久保大臣、在清獨国公使と対話。
10/25百七八。在清英国公使、大久保大臣に清国側の和約条件伝達。以後二人は密接な連携の下、和約条件の取り纏めに努力する。
10/31百八六。日清両国間互換条款締結。合意三条件は大意次のようになっています。
一、この度の台湾出兵は義挙である。二、清国は日本に償金を支払う。三、台湾原住民は中国が統治し、以後台湾周辺航行の安全を約束する。
12/7二百一。台湾出兵全軍長崎帰着。
12/8二百二。ニューヨーク号控訴一件は和談となった。

[後記]台湾出兵は、極東の日本と清国の、戦争とも言えない揉め事ですが、何故か世界の強国である、英米仏獨西露が全面的に関係して来ます。この事件によって、世界の各国は日本をそれぞれの国の世界戦略の中に強固に組み込みました。その動きを十分理解して、その後の行動を日本は選択したでありましょうか。国際情勢とか、歴史の流れとかを十分把握して日本は世界戦略を立てたでありましょうか。日本国内だけの都合とか、極東アジア的視点とかから、自らの行動を判断したのではないでしょうか。1874年以降、1945年までの僅か 70年、現在の日本人の平均寿命より短い間に、日本が辿った歴史の軌跡は、真に希有なものであります。この 70年間の歴史を真剣に学ぶことの必要性は幾ら強調しても、し過ぎることはないでありましょう。次は日清戦争について、調べたいと思います。
( 2005年10月18日 21:00 記入−藍愛和)

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